サイトアイコン ニッポン旅マガジン

小田原城・八幡山古郭東曲輪

小田原城・八幡山古郭東曲輪

神奈川県小田原市、、小田原駅の南西側の丘陵上、県立小田原高校東、東海道本線沿いの高台が小田原城の八幡山古郭東曲輪(はちまんやまこかくひがしくるわ)。15世紀末、北条早雲の時代の小田原城の曲輪で、小田原城を取り囲んだ全周9kmの総構え(そうがまえ)の遺構とともに国の史跡になっています。

大森藤頼・北条早雲時代の小田原城の遺構

中世の小田原は、全周9kmの総構え(そうがまえ)で囲まれた城郭都市。
北条氏が豊臣秀吉との合戦に備え、城下町を土塁と空壕で囲んだものですが、八幡山古郭はそれ以前の、小田原城。
大森藤頼(おおもりふじより)が築城し、15世紀末に伊勢宗瑞(北条早雲)が大森藤頼を破った頃の小田原城です。
駿河守護今川氏親の一武将にしかすぎない北条早雲が、伊豆を奪取し、さらに相模へと侵入した、まさに戦国時代の幕開けを告げる明応4年(1495年)頃の出来事です。

県立小田原高校内に八幡山古郭跡(その主郭部分)を見学できる散策路を設置(見学者が小田原高校グラウンド側に入らないようにフェンスで仕切られています)。
平成21年度までの発掘調査で、北条早雲時代のものと推測される大型の土塁跡や、「三味線堀」と呼ばれる短い鍵折れ状の堀跡が見つかっています。

県立小田原高校の東、八幡山古郭東曲輪からは16世紀の半地下式の倉庫と考えられる方形竪穴状遺構も発見されています。
八幡山古郭東曲輪は歴史公園として整備され、見学が可能。
高台にあるため、天守を眼前に、豊臣秀吉が本陣を据えた石垣山一夜城などを眺望できます。

小田原市文化財課では、八幡山古郭を「小田原城のスタート地点」、八幡山古郭東曲輪はを「小田原合戦の歴史の舞台や城下町の様子を通して、戦国時代や江戸時代の小田原城の歴史を知る上で貴重な場所」としています。

小田原城・八幡山古郭東曲輪
名称 小田原城・八幡山古郭東曲輪/おだわらじょう・はちまんやまこかくひがしくるわ
所在地 神奈川県小田原市城山3-24
関連HP 小田原市公式ホームページ
電車・バスで JR小田原駅から徒歩10分
ドライブで 小田原厚木道路小田原東ICから約5km、荻窪ICから約3km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 小田原市観光課 TEL:0465-33-1521
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

小田原城址公園

北条早雲をはじめとする後北条氏が、5代96年におよぶ栄華を極めた小田原城。後北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、小田原高校の建つ八幡山に詰めの城を配しました。豊臣秀吉の小田原攻めに対抗するために周囲9kmにも及ぶ土塁と空堀の外郭を築き、

石垣山一夜城歴史公園

小田原から箱根へと上る箱根ターンパイク沿いにある標高262mの尾根状のピークが石垣山。ミカン畑が広がるのどかな山ですが、東は相模湾に臨み、北は小田原市街を眼下にするという立地から、戦国時代末に豊臣秀吉が「石垣山一夜城」を築いた場所。一帯は石

北條早雲公像

小田原駅西口駅前広場のロータリーに立つ北条早雲(ほうじょう そううん)の像。北条早雲は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、後北条氏の祖。「北條早雲公像」は、鎧兜を着けた凛々しい騎馬像です。相模平定し、東国の戦国武将の魁(さきがけ)とな

城山公園(海と城の見える丘)

神奈川県小田原市、小田原城本丸西側の高台にある運動公園が城山公園(海と城の見える丘)。城山公園と名がつくのは戦国時代、小田原は町全体が城郭都市と化していましたが、三の丸外郭に相当するから。運動公園になっていますが、空堀の跡も残されているので

神奈川県三大名城とは!?

神奈川県の名城といえば、北条五代の居城で総構えとして知られる小田原城が筆頭。日本100名城の小田原城と、続日本100名城に選定される小机城、石垣山城が神奈川県三大名城ということに。石垣山城は、豊臣秀吉が小田原攻めの際に一夜で築いたといわれる

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了