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野島公園展望台

野島公園展望台

神奈川県横浜市金沢区野島町、野島公園の中心、野島山の山頂にあるのが野島公園展望台。北東に八景島シーパラダイス、西に富士山を眺望する標高50mほどの山頂に、円盤を思わせる展望塔が建っています。津波避難場所脇の階段、または野島山坂道ルートで到達できます。

3月末と9月中旬にはダイヤモンド富士も!

野島公園展望台からの眺めは360度で、平潟湾や海の公園、八景島はもちろん、富士山、丹沢の山々、横浜のMM21地区、東京の超高層ビル群、東京湾横断道路、房総半島、観音崎などの三浦半島南部の山々までを一望にできます。

江戸時代には金沢八景の一つ「野島夕照」と詠われた景勝の地。
歌川広重の浮世絵では野島山の右半分が『野島夕照』、左半分が『平潟落雁』に描き込まれています。
戦前は、現在の日産自動車追浜工場の場所に横須賀海軍航空隊の追浜飛行場があったため、昭和20年には野島山をくり抜いて、戦闘機を格納する掩体壕(えんたいごう)が築かれています。
ちょうど野島公園展望台の直下に、全長258.5mのトンネル(掩体壕)が開削されており、両方の入口を見学することができます。

野島公園展望台からは例年9月14日前後、3月30日前後にダイヤモンド富士を眺めることができます(閏年など、年によって変動します)。

野島山に南山腹に鎮座する野島稲荷神社は、鎌倉時代創建という古社で、江戸時代の万治年間(1658年~1661年)、野島の南端の海辺に紀伊和歌山藩主・徳川頼宣(とくがわよりのぶ=徳川家康の十男)の別邸があったため、その鬼門封じとして庇護を受けたと伝えられています。
野島山の頂には野島稲荷神社の別当(神社を管理する寺)だった善応寺が建っていたとされますが(『新編武蔵風土記稿』)、南風で倒壊し、現在の金沢区野島町に移転、明治40年に野島の正覚院を合わせて染王寺と改称しています。

津波避難場所脇の階段を上っても到達できます
野島公園展望台
名称 野島公園展望台/のじまこうえんてんぼうだい
所在地 神奈川県横浜市金沢区野島町24
関連HP 横浜市緑の協会公式ホームページ
電車・バスで シーサイドライン野島公園駅から徒歩10分
ドライブで 横浜横須賀道路朝比奈ICから約5km
駐車場 第1駐車場(104台/有料)・第2駐車場(52台/有料)・室ノ木地区臨時駐車場(150台/有料)
問い合わせ 野島公園 TEL:045-781-8146
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

野島掩体壕

神奈川県横浜市金沢区野島町、野島公園の展望台の地下にあるのが、野島掩体壕(のじまえんたいごう)。掩体壕とは、戦闘機を空爆の被害から守るためのシェルターで、野島山の崖をかまぼこ型にくり抜く形で壕が築かれ、コンクリートで補強されています。現存す

旧伊藤博文金沢別邸

神奈川県横浜市金沢区、野島公園にあるのが旧伊藤博文金沢別邸。明治時代、風光明媚な野島、富岡などの金沢近辺は、東京近郊の海浜別荘地として注目され、松方正義、井上馨などが別荘を構えました。明治31年には伊藤博文も別荘を建て、皇族たちもこの地を訪

野島稲荷神社

神奈川県横浜市金沢区野島町、野島公園の中心、野島山の南山腹に建つのが、野島稲荷神社。野島は江戸時代に金沢八景の一つ「野島夕照」と詠われた景勝の地で、神社近くには江戸時代初期に紀伊和歌山藩主・徳川頼宣(とくがわよりのぶ=徳川家康の十男)の別邸

野島公園・乙舳海岸

神奈川県横浜市金沢区野島町、野島公園の東端部の海岸が、乙舳海岸(おつともかいがん)。海の公園のビーチは乙舳海岸を拡張した人工の海浜で、野島公園の乙舳海岸は、横浜市内の貴重な自然海岸です。定められた規則の範囲内で潮干狩りを楽しむことが可能。風

野島公園

神奈川県横浜市金沢区野島町、平潟湾入口に浮かぶ島の公園(公園面積17.5ha)が野島公園。かつて独立した孤島だったのが、乙舳海岸の砂州が伸び出して、州崎村と陸続きになったもので、金沢八景の「野島夕照」(のじまのせきしょう) にも描

 

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