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熊本城・宇土櫓

熊本城・宇土櫓

西南戦争時に焼失を免れ、平成28年4月14日に発生した熊本地震でもさほど大きな被害を出すことなく、往時のままに現存する熊本城の建造物でもっとも大規模な櫓で、日本最大の三重櫓が宇土櫓(うとやぐら=平左衛門丸五階櫓)。本丸北西角にある3層5階の櫓で、国の重要文化財に指定されています。

天守閣にも見紛う立派な櫓

天守と見誤るような勇姿から、大天守、小天守に次ぐ第3の天守とも呼ばれています。
慶長の造営時に小西行長が築いた宇土城(現・熊本県宇土市)の三層五重の天守を移築したものという説もありましたが、平成元年の解体修理でも移築の痕跡は発見されず、熊本城大天守の隣にそびえる小天守が宇土城の天守だったとする説が有力になっています(熊本城小天守は、西南戦争で焼失し、移設なのかは確認できません)。
3層5階地下1階、高さは19mもあり、近世以前に建造された天守や櫓との比較では、現存12天守と比較しても、姫路城、松本城、松江城に次いで4番目の高さを誇っています。
三重櫓としてはもちろん全国第1位で、2位が「清洲越し」(名古屋城築城時の、清洲からの城と城下の大移転)の際に清州城の小天守を移築したとも伝えられる名古屋城・西北隅櫓なので、御三家筆頭・尾張藩の三重櫓をも凌ぐ、豪華な櫓ということに。
内部の見学も可能なので、ぜひじっくりと見学を。

明治初年までは、他にも4棟の五階櫓(ごかいやぐら)がありましたが、現在は宇土櫓だけが残されています。

熊本城・宇土櫓
名称熊本城・宇土櫓/くまもとじょう・うとやぐら
所在地熊本県熊本市中央区本丸1-1
関連HP熊本城公式ホームページ
電車・バスでJR熊本駅から市電で10分、熊本城前下車、徒歩10分
ドライブで九州自動車道熊本ICから約9km
駐車場熊本城二の丸駐車場(160台/有料)
問い合わせ熊本城総合事務所 TEL:096-352-5900/FAX:096-356-5655
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

全国に現存する三重櫓 12基

天守がない城や、天守が焼失し再建されなかった城では代用天守としても機能し、天守があった城でも、防備の拠点として重要な役割を担った櫓(やぐら)が、三重櫓。国内に数ある城郭の中で、往時の三重櫓は12基が現存、奇しくも現存12天守と同じ数です。弘

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熊本城・天守

熊本県熊本市中央区、熊本城の本丸にそびえるのが天守。築城の名手、加藤清正(かとうきよまさ)が慶長5年(1600年)頃に築いたのが始まりで、往時の天守は明治10年、西南戦争時の失火で焼失。現在の天守は昭和35年9月22日に完成したコンクリート

名古屋城・西北隅櫓

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