【昭和レトロの旅】 「郵便列車」を知っていますか!?

「郵便列車」という言葉を知っている人は、年配の人、あるいはかなりの鉄道ツウ。離島航路の船には今も郵便マークが付いているものが数多くありますが、自動車での輸送が今ほど盛んでなかった時代には、郵便物や新聞を速達性があり、輸送時間が正確だった鉄道に頼っていたのです。

列車が郵便や新聞を運んだ時代は、今は昔話に

横須賀カラーのクモユニ143(昭和56年に身延線用として新造された郵便・荷物車)

昭和51年度に首都圏のATC(Automatic Train Control=自動列車制御装置)が導入されると、ATC対応の牽引車のクモヤ143形、郵便車のクモユ143形が登場、湘南電車など近郊型の113系、115系、さらには急行形の165系旅客車両と連結運転されることもあったのです。

首都圏でも湘南色、横須賀色などに塗られて、連結して運転されていましたが、需要の減少で廃車が進み、姿を消しています。
例えばクモユニ143は、昭和56年に身延線用として新造された郵便・荷物車。
昭和60年に郵便・荷物輸送が廃止となった後に、新潟・長岡運転所に転属、その際3両が湘南カラーに。
さらに昭和61年、荷物輸送の廃止に伴って千葉・幕張電車区に転属、すべての車両が横須賀カラーとなって平成8年まで新聞輸送に活躍しました。

鉄道郵便の歴史は、鉄道敷設の始まりとともに明治5年6月13日に制度化され、昭和61年10月1日まで続けられ、私鉄でも東武鉄道、秩父鉄道、小田急電鉄、南海電気鉄道、近江鉄道などで活躍しましたが、旅客車両に併結した郵便列車(郵便電車)での輸送は行なわれていません。

昭和54年版『通信白書』には、「郵便物の輸送は、遠距離は鉄道、航空機を主力とし、近距離及び大都市内は自動車を主力にして行なっている」と記されています。
また、「昭和53年10月2日の国鉄ダイヤ改正に伴い、東京〜大阪間、東京〜名古屋間及び東京〜沼津間に運行していた鉄道郵便車上下各1便を廃止し、東京〜浜松間に高速専用自動車便上下各1便を開設、これにより東京駅発着の郵便車運行は全廃となり、東海道・山陽方面の郵便車運行はすべて汐留駅が始終駅となった」と記されています。
さらに「上野駅発着の旅客列車に連結されていた郵便車がすべて隅田川駅発着の荷物専用列車に連結替えされた」とあるので、上野駅発の夜行列車などに併結されていた郵便列車も、すべて廃止され、隅田川駅(貨物駅)発着となったことがわかり、同時に房総方面の鉄道輸送も自動車輸送に転換したと記されているので、首都圏の駅でも昭和53年10月2日ダイヤ改正以降は、郵便列車の姿を見ることができなくなったことがわかります。

注/TOPの画像は、平成26年7月、クモユニ143+115系横須賀カラーで、 『懐かしの115系横須賀色』として大糸線運転時のもの(実際に郵便輸送は行なっていません)

【昭和レトロの旅】 「郵便列車」を知っていますか!?
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