醍醐山一帯に広大な敷地を占める真言宗醍醐派の総本山が醍醐寺(だいごじ)。豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」で有名な寺です。醍醐とは仏の悟りや教えのこと。世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなっています。上醍醐にある准胝堂(じゅんていどう)は西国三十三所第11番札所。
広大な寺域は下醍醐、上醍醐に分かれている
874(貞観16)年、空海の孫弟子にあたる理源大師・聖宝(しょうぼう)が山上に草庵を結び准胝観音像(じゅんていかんのんぞう)・如意輪観音像を安置したのが上醍醐の始まり。
醍醐天皇の勅願で、907(延喜7)年に薬師堂、五大堂が建立され、上醍醐の伽藍が完成しています。
山麓に位置する下醍醐は、926(延長4)年に開かれ、釈迦堂、五重塔などの伽藍を整備。
応仁・文明の乱の戦火で下醍醐の五重塔を除く伽藍が焼失しますが、1598(慶長3)年に豊臣秀吉が吉野山をはじめ河内・大和・近江・山城の4国から山桜など桜木700本を移植した宴「醍醐の花見」を機に復興しています。
下醍醐の金堂は、豊臣秀吉の命で紀州湯浅(和歌山県湯浅町)の満願寺の本堂を2年がかりで移築し、1600(慶長5)年に完成したもの。
平安時代築で、鎌倉時代に改修、そして移築時の桃山建築の遺風もある建物で、国宝。
総高38mの五重塔は、醍醐天皇の冥福を祈るために朱雀天皇が起工、951(天歴5)年に完成した古塔で、京都に残る数少ない平安時代建築として国宝に指定されています。
上醍醐の薬師堂、清滝宮拝殿は国宝。
清瀧宮本殿は、1599(慶長4)年建立で、国の重要文化財。
塔頭・三宝院の唐門、表書院は国宝
見学拝観は、下醍醐と、下醍醐の奥、上醍醐登山口女人堂で受付の上醍醐では別料金となり、上醍醐はかなり歩くことになるので注意が必要。
醍醐寺の塔頭、三宝院(三宝院門跡は、醍醐寺座主で真言宗醍醐派管長)の唐門、表書院は国宝。
表書院は、醍醐の花見の際に奈良から移された能の楽屋を再移転し、書院造風に改築したもの。
秀吉の作庭と伝えられる三宝院庭園は、国の特別名勝・特別史跡。
絹本着色五大尊像、絹本著色文殊渡海図、絹本著色訶梨帝母像、絹本著色閻魔天像はいずれも国宝で、醍醐寺には多数の文化財を収蔵。
まさに「古都京都の文化財」の寺となっています。
上醍醐にある准胝堂(じゅんていどう)は西国三十三ヵ所第11番札所。
五大堂は2月23日に行なわれる「五大力さん」(災難・盗難除けの五大力尊の御影が授与される)は有名です。
『醍醐の花見』を再現する『豊太閤花見行列』
4月第2日曜日に行なわれる『豊太閤花見行列』は、慶長3年3月15日(1598年4月20日)、豊臣秀吉が豊臣秀頼、北政所、淀、諸大名など1300名を従えて催した『醍醐の花見』を模した祭事。
秀吉は醍醐寺の塔頭である三宝院の景観を愛し、前年にも徳川家康を伴って寒桜見物に訪れていますが、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)の厭戦気分や秀頼への溺愛、さらには1594(文禄3)年の吉野の花見の経験から『醍醐の花見』を発案します。
花見にあたって秀吉は予めわざわざ伽藍を整備し、伏見から醍醐寺への道を改修するなど周到な用意をしています。『醍醐の花見』があまりに有名なため、醍醐寺は桜の寺として知られますが、実は秋の紅葉も最高に素敵なのでお見逃しなく!
例年紅葉の見頃は11月中旬~12月上旬頃となっています。
醍醐寺 3つのチェックポイント
世界遺産「古都京都の文化財」構成資産
秀吉の『醍醐の花見』以降、お花見の名所
広大な寺域に国宝の五重塔など見事な伽藍
西国三十三所霊場間の距離・時間
10番・明星山三室戸寺(京都府宇治市莵道滋賀谷21) — (9km/30分) — 11番・深雪山上醍醐准胝堂/醍醐寺(京都市伏見区醍醐東大路町22) — (23km/50分) — 12番・岩間山正法寺/岩間寺(滋賀県大津市石山内畑町82)
※距離と時間はルートや交通状況により変動するため、およその目安です
醍醐寺 | |
名称 | 醍醐寺/だいごじ Daigo-ji Temple |
所在地 | 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22 |
関連HP | 醍醐寺公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄東西線醍醐駅から徒歩10分 |
ドライブで | 名神高速道路京都東ICから約5km |
駐車場 | 醍醐寺駐車場(100台/有料) |
問い合わせ | 醍醐寺 TEL:075-571-0002/FAX:075-571-0101 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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