笠置寺

笠置寺

京都府相楽郡笠置町、木津川の南にそびえる笠置山(標高288m)は、全山が花崗岩の山で、古来から巨岩信仰の対象となっていた地。奈良時代に仏教の普及に伴って東大寺の良弁僧正、実忠僧正が弥勒大磨崖仏を刻んだのが寺としての始まりというのが、笠置寺(かさぎでら)です。

本尊は、巨大な花崗岩に刻まれた弥勒菩薩

笠置寺
本尊の弥勒磨崖仏(右の巨岩)
笠置寺
山名、寺名の由来となった笠置石

「巨石と雲海の山」と称される笠置山は、標高は288mという低山ですが、木津川との比高は240mもあり、花崗岩の巨岩が立ちはだかるアルペン的な景観で、巨石信仰のテーマパークといった感じです。
天智天皇の皇子が笠を置いた石、笠置石が山名、寺名の由来。

寺伝(『笠置寺絵縁起』)によれば、天智天皇10年(671年)、天智天皇の皇子が狩猟の際に遭難したが仏の加護により救われ、謝恩のために巨岩に仏を刻むことを発願したのが始まりと伝えられます。
しかし、ルーツはそれ以前の磐座信仰(いわくらしんこう)にあり、仏教の伝来、日本古来の神道、修験道との習合で、山岳信仰の修行場となったのです。

天平勝宝4年(752年)、実忠僧正が創建したと伝えられる正月堂(本堂)は、東大寺二月堂でも行なわれている『修二会』(お水取り)を良弁(ろうべん=東大寺を開山)、実忠(じっちゅう=良弁に師事、東大寺の十一面悔過を創始)が最初に行なったお堂です(『修二会』のルーツ)。

笠置寺の本尊は、高さ15.6m、幅15mの巨大な花崗岩に刻まれた弥勒菩薩(みろくぼさつ)ですが、度重なる兵火を受け、摩耗してほとんど像を確認することができません。
高さ12m、幅7mの花崗岩に描かれた虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)も奈良時代または平安時代作と推測されていますが、今もくっきりとした像が残されています。

日本最大の天人彫刻像といわれる本尊の弥勒大磨崖仏は、当時の最先端技術を持つ渡来人の工人が造ったと想像され、この弥勒像に参詣する笠置詣で(かさぎもうで)が平安時代の末法思想の広がりとともに流行し、高僧、解脱上人・貞慶(じょうけい=法相宗の名僧、笠置寺の寺観を整備)を迎えて笠置寺も隆盛。

元弘元年(1331年)に勃発した元弘の乱で倒幕の狼煙(のろし)を上げた後醍醐天皇を匿ったことで(南朝・後醍醐天皇の行在所)、全山が焼失、その後、衰退。
現在の寺は明治9年に無住だった寺を復興したもの。

山中に二の丸跡と称する地がありますが、後醍醐天皇の行在所跡を本丸に見立て、一段下を二の丸と呼んだもので、室町時代以降の名称(実際に二の丸の城郭があったわけではありません)。

裏手には一周800mの「笠置寺行場めぐり」があり、2つの磨崖仏を拝観後、トンネル状の「胎内くぐり」、叩くと音がする「太鼓石」、手で押すと揺らぐ「ゆるぎ石」、蟻の戸渡りなどを一巡する仕組み。

山上駐車場まで車が入ることができますが、関西本線笠置駅からハイキングコース「史の道コース」で山門まで徒歩45分、山門から境内・行場めぐりは1時間ほど。

笠置寺
虚空蔵磨崖仏
笠置寺
名称 笠置寺/かさぎでら
所在地 京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29
関連HP 笠置寺公式ホームページ
電車・バスで JR笠置駅から徒歩40分
ドライブで 京奈和自動車道木津ICから約18km
駐車場 笠置山上駐車場(30台/無料)
問い合わせ 笠置寺 TEL:0743-95-2848/FAX:0743-95-2848
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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