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保津川下り(保津川遊船)

保津川下り(保津川遊船)

京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)は、大堰川(保津川)を開削して丹波と京都を結ぶ水運を考案、慶長11年1606年)にわずか5ヶ月で工事を完成させる。その水運のルートを利用して明治時代に始まったのが現在の保津川遊船(京都府亀岡市)の保津川下り。通年、定期乗合船が運航(冬期は、お座敷暖房船)。

春の花吹雪から冬の雪見船まで

明治40年に発表された夏目漱石の『虞美人草』にも保津川下りの様子が詳述されています。
大正から昭和の初期には京都から人力車でやって来る外国人も多かったとか。

新保津大橋の上流から京の景勝地・嵐山(渡月橋上流の着船場)までおよそ16kmの渓谷を2時間~2時間30分かけて下ります。
途中には角倉水運の役所があった地蔵ヶ淵、巨岩の間をすりぬける難所・小鮎の滝瀬などがあり飽きることがありません。

往路は嵐山から嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)でトロッコ亀岡駅に向かい(トロッコ亀岡駅から京阪京都交通バスで保津川乗船所前へ)、帰路は保津川下りを楽しむ観光ルートが定番。
その逆に、往路は保津川下り、帰路はトロッコ列車という手もおすすめです。

角倉了以が開いた保津川の舟運を今に伝える

角倉了以が保津川を掘削した慶長11年(1606年)といえば、堺の商人・木屋弥三右衛門がシャムへの渡海許可を得、徳川幕府がシャムから鉄砲と硝石の調達を始めた年。
角倉了以朱印船貿易の経験をもとに京都の発展には水運は欠かせないと判断したのは近世的な流通経済の発展が背景にあるのです。
丹波で産する米、木材、薪炭を保津川の水運で運び、了以は財を蓄え高瀬川の開削に乗り出します。
山陰本線が明治32年に開通しますが筏や荷船による水運は昭和23年まで続いていたのです。
つまり、保津川の川下りは2006年で開削400年を迎えた保津川水運の歴史を今に伝えているのです。

保津川下り(保津川遊船)
名称 保津川下り(保津川遊船)/ほづがわくだり(ほづがわゆうせん)
所在地 京都府亀岡市保津町下中島1
関連HP 保津川遊船企業組合公式ホームページ
電車・バスで JR亀岡駅から徒歩15分
ドライブで 京都縦貫自動車道亀岡ICから約4.5km
駐車場 保津川遊船駐車場(80台/無料)
問い合わせ 保津川遊船企業組合 TEL:0771-22-5846/FAX:0771-25-1550
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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