京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺の塔頭(たっちゅう)のひとつが高桐院(こうとういん)。慶長7年(1602年)頃、千利休七哲の一人、細川忠興(ほそかわただおき)が父・細川幽斎(細川藤孝)の菩提を弔うために創建。方丈南庭の「楓の庭」の美しさでも知られています。
千利休七哲の一人、細川忠興が創建
開山の玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)は、細川幽斎(細川藤孝)の弟というまさに細川家ゆかりの寺。
緑が鮮やかな参道を抜けると方丈(本堂)があり、裏手には豊臣秀吉が天正15年(1587年)に開いた北野大茶会で細川忠興が築いた茶室を、寛永5年(1628年)に移築した「松向軒」(しょうこうけん)が建っています。
方丈(本堂)前の庭は江戸初期の作庭で、「楓の庭」(かえでのにわ)と呼ばれ苔の緑が一体となる新緑、紅葉の時期は格別の美しさで知られています。
庭園の中央に配されている石灯籠は鎌倉時代のもの。
高桐院の書院「意北軒」(いほくけん)は豊臣秀吉の逆鱗に触れ、切腹を命じられた千利休(せんのりきゅう)の邸宅(聚楽屋敷)を移築したものと伝えられています。
本堂(客殿)の西にある庭が細川家代々の墓所。
細川忠興とその妻、細川ガラシャの墓塔となっているのは、当時天下一と呼ばれた千利休愛蔵の春日灯籠。
豊臣秀吉に召し上げられるのを恐れて裏の一部を欠かしたという逸品です。
細川ガラシャ(明智光秀の娘)は、関ヶ原の合戦の直前、石田三成が西軍に加担させるために人質に取ろうとしたが、キリスト教に帰依しているため自刃も許されず、屋敷に火を放ち、配下に手を下させ、夫が東軍に付くのを支援したことで有名。
その一件で石田三成の人質政策は瓦解し、結果として三成の人望が失われ東軍有利に働いたといわれています。
寺宝の李唐(りとう)筆『絹本墨画山水図』2幅は南宋初期山水画の名作で国宝。
寺宝は、例年、10月第2日曜日、1日限りで公開。
JR東海『そうだ 京都、行こう』のCMに紅葉が登場!
平成8年秋のJR東海『そうだ 京都、行こう』のCMに登場するのは、高桐院の紅葉。
「ここの紅葉は色だけじゃない。
枝ぶりや散り方までしっかり眺めること。
この国には自然との接し方にもきちんとお作法があります。
千利休に縁の深いお寺にて。」
平成22年の初夏のJR東海『そうだ 京都、行こう』のポスターは、高桐院入口の新緑の参道。
「古くからあるのに古くない。
毎年、新しい生命力を
緑からもらうようにできていました。」
画像協力/東海旅客鉄道株式会社
大徳寺・高桐院 | |
名称 | 大徳寺・高桐院/だいとくじ・こうとういん |
所在地 | 京都府京都市北区紫野大徳寺73-1 |
関連HP | 京都市公式ホームページ |
電車・バスで | JR京都駅から市バスで40分、大徳寺前下車、徒歩2分で南門、さらに徒歩8分。またはJR京都駅から市バスで32分、北大路堀川下車、徒歩8分で南門、さらに徒歩8分 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約11km |
駐車場 | 大徳寺駐車場(25台/有料) |
問い合わせ | 高桐院 TEL:075-492-0068/FAX:075-493-8733 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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