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京都市産寧坂伝統的建造物群保存地区

京都市産寧坂伝統的建造物群保存地区

京都府京都市東山区、訪日外国人観光客や、修学旅行でも人気の清水寺、高台寺(豊臣秀吉と北政所ねねの寺)、八坂神社などを巡る散策路にあたるエリアが、京都市産寧坂伝統的建造物群保存地区。産寧坂(さんねいざか)は、三年坂とも称される清水寺への参道で、虫籠窓(むしこまど)の町家、茶店が並んでいます。

産寧坂界隈ではハウスウォッチングを、ぜひ

清水寺、高台寺などの塔頭(たっちゅう=支院)と伝統的な町家が並ぶエリアで、産寧坂から二寧坂(二年坂)辺りは一階を店とする虫籠窓の町家、茶店がならび、二寧坂から高台寺辺りは大正時代以降の二階建数奇屋風の町家が並び、門前町として伝統的建造物群保存地区に選定されています。

産寧坂の名の由来は、清水寺創建後の大同3年(808年)に開かれたからとも、安産祈願で清水寺・子安観音に参詣した「産む寧(やすき)坂」から、あるいは再度祈願に訪れる再念坂ともいわれ定かでありません。

歴史的には、「清水の舞台」の清水寺、八坂の塔で知られる法観寺、牛頭天王(ごずてんのう)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)に対する神仏習合の祇園信仰(スサノオの信仰)の中心・祇園社(現在の八坂神社)などの門前町として形成され、江戸時代中期以降に参道に近世の名所巡りの発展とともに町家が生まれたものです。

エリアの6割ほどが伝統的建造物で、江戸時代から明治時代にかけての建築を代表する虫籠窓の町家、明治時代の本2階建町家、大正時代の変形町家、茶室建築の手法を取り入れた数寄屋風建築、道に面して門と塀のある和風邸宅、明治〜大正時代に建てられた石塀小路町家の6種類に大別されます。

下河原通と高台寺北門通を結ぶ路地・石塀小路(いしべこうじ)は、明治末期から大正初期にかけ、貸家経営を目的とする宅地開発が行なわれた場所で、路面には京都市電で使われた石畳が敷き詰められ、両側には旅館や料亭などの町家が並び、京都らしい風情を楽しむことができます(京都でも独特の空間を有するエリアです)。

京都市内にある重伝建は、京都市産寧坂(門前町)のほか、京都市上賀茂(社家町)、京都市祇園新橋(茶屋町)、京都市嵯峨鳥居本(門前町)の合計4ヶ所があるので、これを巡って京都らしさを満喫するのもおすすめです。

京都市産寧坂伝統的建造物群保存地区
名称 京都市産寧坂伝統的建造物群保存地区/きょうとしさんねいざかでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく
所在地 京都府京都市東山区清水
関連HP 京都市公式ホームページ
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

産寧坂(三年坂)

京都市の東山山麓、八坂から清水寺へ通じる100mほどの石畳が三年坂と通称される坂道で、正式名は産寧坂(さんねいざか)。清水寺境内の子安観音への安産祈願の坂から付いた名といわれますが、その語呂と、転ぶと3年で死ぬなどという俗諺から「三年坂」と

二寧坂(二年坂)

京都市の東山界隈、産寧坂(さんねいざか/三年坂)から高台寺に至る坂が二寧坂(にねいざか)。産寧坂(三年坂)の手前にあることが名の由来ともいわれますが、定かでありません。同様にこちらも二年坂と通称されています。しっとりとした趣の坂で、周囲は大

高台寺

京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺、高台寺(正式名は高台寿聖禅寺)。豊臣秀吉の菩提を弔うために、秀吉の正室、北政所(ねね=出家して高台院湖月尼)が徳川家康の援助を仰ぎ、慶長10年(1605年)に創建した近世京都を代表する名刹で「ねね

法観寺 八坂の塔

京都市の八坂上町にある臨済宗建仁寺派の寺、法観寺(ほうかんじ)。清水寺周辺の坂から見え隠れする五重塔(八坂塔)があることから八坂の塔とも呼ばれますが、正式名は法観寺。聖徳太子の創建と伝えられ、塔の礎石も飛鳥時代のものとか。現在の五重塔は永享

 

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