京都府京都市中京区、徳川家の栄枯盛衰を今に伝えるのが世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなっている二条城です。二の丸御殿は、東大手門から入城し、唐門をくぐった先にあるのが二の丸御殿。後水尾天皇の二条城行幸に備え、寛永3年(1626年)に完成した建物が現存。国宝になっています。
国内の城郭に残る唯一の御殿群

江戸を居城とする徳川将軍が、天皇との会見などで京に滞在する間の居館、そして接待の場として築かれたのが二の丸御殿です。
二の丸御殿が完成した寛永3年(1626年)には、後水尾天皇の二条城行幸がありましたが、結果的にはそれが二条城がもっとも華やかだった時代となったのです。
3代将軍・徳川家光の時代には朝廷との関係が悪化し、家光の二条城に滞在、勅使の訪問を応接しています。
家光以降は14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)の上洛まで二条城が将軍を迎えることはなく、城としての機能も失われていたことがわかります。
唐門(からもん)を正門とする二の丸御殿は、車寄(くるまよせ)のある遠侍(とおざむらい)、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟からなり、すべて国宝。
付随する御殿台所(竈と流し台がある土間)、御清所(江戸時代の呼称は御料理間で、調理場)が国の重要文化財に指定されています。
意匠を凝らした書院造りの見事な建物で、狩野探幽(かのうたんゆう)による障壁画(国の重要文化財)と、多彩な欄間彫刻や飾金具によって装飾されており、江戸時代初期におけるもっとも豪華な建築物といえるでしょう。
隣接して二の丸庭園があり、散策することができますが、庭園の設計思想は、あくまで二の丸御殿から眺めることを最優先して築かれています。
とくに二の丸御殿で将軍が着座する大広間上段の間と黒書院上段の間から眺めるようになっていました。
往時には本丸御殿と廊下で連絡し、二の丸御殿の脇に天守が建っていましたが、寛延3年(1750年)、落雷により天守を焼失し、以降は再建されることがありませんでした。
二条城を訪れる人の多くは、かつて天守があったことを知らない人も多いということに。


| 二条城・二の丸御殿(国宝) | |
| 名称 | 二条城・二の丸御殿/にじょうじょう・にのまるごてん |
| 所在地 | 京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541 |
| 関連HP | 元離宮二条城公式ホームページ |
| 電車・バスで | 地下鉄東西線二条城前駅下車、徒歩2分で東大手門。JR京都駅から市バスで17分、二条城前下車、徒歩1分で東大手門 |
| ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約7.7km |
| 駐車場 | 第1駐車場(120台/有料)、第3駐車場(20台/有料) |
| 問い合わせ | 二条城 TEL:075-841-0096/FAX:075-802-6181 |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |











