【特別名勝】二条城・二の丸庭園

二条城・二の丸庭園

京都府京都市中京区、江戸時代には徳川将軍の宿所・謁見の場、明治維新後は離宮としても使われた二条城。二の丸御殿の横にある二の丸庭園は、寛永3年(1626年)の後水尾天皇行幸時に、小堀遠州らが作事奉行として改修したもので、「国宝級の庭園」ということから国の特別名勝になっています。

二の丸御殿、行幸御殿から観賞するように作庭

二条城・二の丸庭園

池の中央には、蓬莱島と称される中島が浮かび、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園(神仙蓬莱思想を表した庭園)。
往時には黒書院と大広間、池を隔てた対岸にあった行幸御殿とをつなぐ廊下などで囲まれていました。
小堀遠州は大名でありながら、茶人(遠州流の祖)、建築家、書家としても優れた才能を発揮、さらには建築家目線での作庭家としても名を馳せていました。
本名は小堀政一(こぼりまさかず)ですが遠江守(とおとおみのかみ)だったことから小堀遠州と通称されています。

藤堂高虎の推挙で、慶長11年(1606年)、後陽成院御所の作事奉行となったのが建築家としてのスタート。
家康が隠居所に定めた駿府城の作事奉行にも抜擢、さらに慶長18年(1613年)には後水尾天皇の御所も担い、寛永3年(1626年)、後水尾天皇の二条城行幸が決まると、行幸御殿、二の丸御殿・大広間、そして二の丸庭園の統括を担当しています。

二の丸庭園は、行幸御殿や二の丸御殿の大広間、黒書院から眺めることを重視して作庭されているので、探勝にあたっては、二の丸御殿側からの目線で、ぜひ。
庭石の使い方などは遠州流ですが、池泉北西部にある二段落としの滝石組など、明治維新後の離宮時代に手が加えられた部分があります。

二条城・二の丸庭園
往時には石垣の奥に行幸御殿が建っていました
【特別名勝】二条城・二の丸庭園
名称二条城・二の丸庭園/にじょうじょう・にのまるていえん
所在地京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541
関連HP元離宮二条城公式ホームページ
電車・バスで地下鉄東西線二条城前駅下車、徒歩2分で東大手門。JR京都駅から市バスで17分、二条城前下車、徒歩1分で東大手門
ドライブで名神高速道路京都南ICから約7.7km
駐車場第1駐車場(120台/有料)、第3駐車場(20台/有料)
問い合わせ二条城 TEL:075-841-0096/FAX:075-802-6181
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

二条城

徳川家康が京都の守護と上洛時の宿泊場所として1603(慶長8)年に築造し、3代将軍・徳川家光が伏見城の遺構を移すなどして1626(寛永3)年に完成したのが二条城(元離宮二条城)。1867(慶応3)年に15代将軍・慶喜が大政奉還を行なうまで京

二条城・二の丸御殿

二条城・二の丸御殿(国宝)

京都府京都市中京区、徳川家の栄枯盛衰を今に伝えるのが世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなっている二条城です。二の丸御殿は、東大手門から入城し、唐門をくぐった先にあるのが二の丸御殿。後水尾天皇の二条城行幸に備え、寛永3年(1626年)

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