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芭蕉翁生家

芭蕉翁生家

松尾芭蕉(まつおばしょう)は正保元年(1644年)に伊賀上野(現・三重県上野市赤坂町)に生誕。松尾家は農家でしたが、松尾の苗字を許された家柄。侍大将・藤堂良清の嗣子・良忠(俳号は蝉吟)に仕え、藤堂良忠とともに俳諧の道に入りました。故郷、伊賀上野には芭蕉翁生家と伝わる家が残されています。

俳聖・松尾芭蕉が青年時代までを過ごした生家

寛文6年(1666年)、藤堂良忠が夭逝すると22歳で仕官を退き、31歳で俳諧師の立志を抱き江戸へ下っています。
延宝3年(1675年)、江戸へと旅立つまで伊賀上野で過ごしています。

現存する生家と伝えられる建物は、安政の大地震(1854年)後に改築されていますが、格子構えなどは昔の面影を残しています。
格子戸をくぐると、表(みせ)の間、中の間、奥の間、水屋、かまど、井戸、風呂場、厠などが昔のままに現存。
さらに裏庭には処女撰集『貝おほひ』を執筆したという釣月軒も保存されています。
『貝おほひ』は「当所あまみつおほん神(天満宮)のみやしろの手向草となしぬ」と、産土神である上野天神宮(菅原神社)に奉納して江戸に下っています。

ちなみに、松尾芭蕉の生誕地は、上柘植村(現・伊賀市柘植町)とする説もありますが、松尾家は芭蕉生誕と前後して伊賀上野城下の赤坂へと転居しているので、上柘植村で生誕の可能性もあるのです。

芭蕉翁生家
名称 芭蕉翁生家/ばしょうおうせいか
所在地 三重県伊賀市上野赤坂町304
関連HP 伊賀上野観光協会公式ホームページ
電車・バスで 近鉄上野市駅から徒歩10分
ドライブで 名阪国道上野東ICから約2.2km
駐車場 上野公園駐車場(60台/有料)
問い合わせ 芭蕉翁生家 TEL:0595-24-2711
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

蓑虫庵

松尾芭蕉の故郷、伊賀上野(三重県伊賀市)には「芭蕉五庵」(無名庵・蓑虫庵・東麓庵・西麓庵・瓢竹庵)と呼ばれる芭蕉にゆかりの5ヶ所の草庵がありましたが唯一現存するのが蓑虫庵(みのむしあん)。貞享5年(1688年)、芭蕉の門人である服部土芳(は

俳聖殿

俳聖殿(はいせいでん)は、昭和17年に松尾芭蕉生誕300年を記念し、現・伊賀上野城天守の建築に奔走した川崎克(かわさきかつ)が私費を投じて三重県伊賀市に建てられた施設。伊賀上野出身の俳聖・松尾芭蕉を顕彰するために建てられた建物の初層は八角、

上野天神宮(菅原神社)

三重県伊賀市にある菅原道真を祭神とする社が上野天神宮(菅原神社)。寛文12年(1672年)、松尾芭蕉が江戸に出る前に、処女句集『貝おほひ』を奉納し、文運を祈願したことでも有名な伊賀上野の氏神です。『上野天神祭のダンジリ行事』は、全国33ヶ所

芭蕉翁記念館

三重県伊賀市にある俳聖・松尾芭蕉を顕彰するミュージアムが芭蕉翁記念館。松尾芭蕉は、正保元年(1644年)、伊賀上野で生誕。昭和34年に建てられた記念館は、校倉様式を取り入れた高床式の鉄筋コンクリートの建物に、収集した資料の展示室が設けられて

芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)

東京都江東区常盤1丁目、隅田川と小名木川の合流地点近くに建つのが、芭蕉稲荷神社。芭蕉稲荷神社が鎮座する地は、松尾芭蕉が江戸深川に居を構えた深川芭蕉庵跡で、隅田川の畔には芭蕉庵史跡展望庭園、少し北には江東区芭蕉記念館があり、芭蕉を偲ぶ歴史散歩

 

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