三重県伊賀市にある菅原道真を祭神とする社が上野天神宮(菅原神社)。寛文12年(1672年)、松尾芭蕉が江戸に出る前に、処女句集『貝おほひ』を奉納し、文運を祈願したことでも有名な伊賀上野の氏神です。『上野天神祭のダンジリ行事』は、全国33ヶ所の「山・鉾・屋台行事」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産に登録。

芭蕉が処女作『貝おほひ』を奉納した神社

上野天神宮(菅原神社)

上野天神宮(菅原神社)は、現在の上野城の建つ丘にあった上野山平楽寺の境内社として創建された古社で、祭神は菅原道真。
平楽寺は、伊勢平氏(現在の津市にあった中世の重要な湊・安濃津周辺が拠点)の棟梁・平忠盛(たいらのただもり)の嫡男・平清盛(たいらのきよもり)創建。
つまり平清盛が寺の鎮守社として祀った天神宮、九社権現がルーツというわけなのです。
平家の隆盛は伊勢国に本拠を置いた伊勢平氏に始まり、平清盛の祖父・平正盛は北伊賀の荘園を後白河法皇の皇女六条御堂(六条院)に寄進して後白河法皇の接近に成功。
保元・平治の乱を機に政権の中枢に。

当時、平楽寺は、伊勢国随一の大寺だったと伝えられますが、戦国時代、織田信長の伊賀攻めの戦火で焼失し、廃寺に。

その後、慶長16年(1611年)、伊勢津藩の初代藩主・藤堂高虎(とうどうたかとら)によって上野城が築かれた際、現在の場所に遷され、伊賀上野の産土神(うぶすながみ)、氏神となったもの。

10月の『上野天神祭』(うえのてんじんまつり)の鬼行列とだんじり巡行は、『上野天神祭のダンジリ行事』として国の重要無形民俗文化財、そして全国33ヶ所の「山・鉾・屋台行事」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産に登録。

境内にある欅は、毎年春と秋の二度、木の芽がたつといわれ、「二度芽の欅」として有名で、伊賀市の天然記念物に指定。
江戸時代中期築の楼門と鐘楼は、三重県の文化財に指定されています。 

上野天神宮(菅原神社)
名称 上野天神宮(菅原神社)/うえのてんじんぐう(すがわらじんじゃ)
所在地 三重県伊賀市上野東町2929
関連HP 上野天神宮(菅原神社)公式ホームページ
電車・バスで 伊賀鉄道広小路駅から徒歩3分
ドライブで 名阪国道上野東ICから約1.7km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 上野天神宮(菅原神社)TEL:0595-21-2940/FAX:0595-24-5850
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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