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登米懐古館

登米懐古館

宮城県登米市登米町、「みやぎの明治村」と呼ばれる登米(とよま)は、古くから栄えた城下町で、城下町にある歴史ミュージアムが登米懐古館。館内には登米伊達家ゆかりの甲冑「鉄黒漆塗五枚胴具足」、刀剣「太刀備州長船恒弘」などが常設展示されています。

隈研吾設計で令和元年にリニューアル

昭和36年、寺池城三の丸跡(登米要害跡)に登米町名誉町民・渡辺政人(わたなべまさんど)氏の寄贈によって建てられた博物館。
兄がいた台湾に渡って学費を稼ぎ、苦学して明治大学商科を卒業後、日本鋼管に入社し、昭和21年に社長に。
その後、東北開発(現・三菱マテリアル)初代総裁に就任、財団法人登米渡辺奨学会(現・公益財団法人登米渡辺奨学会)を設立し、苦学生の応援もしています。

登米懐古館は、施設の寄贈だけでなく、渡辺氏のコレクションから伊達家ゆかりの貴重な武具や美術品などが寄贈され、開館しています。

老朽化したため、令和元年9月、国立競技場で知られる建築家・隈研吾(くまけんご)の設計で、移転新築。
屋根と庭園の敷石に使われている石は、地元、登米町産のスレートで、地元の歴史・文化を後世に伝えようという隈研吾のこだわりです。

展示される「鉄黒漆塗五枚胴具足」は、登米伊達家初代当主・伊達宗直(だてむねなお/白石宗直・しろいし むねなお)の所用。
「古歌 咲時ハ」は、伊達政宗(だてさまむね)、狩野探幽(かのうたんゆう)、大徳寺住持の江月宗玩(こうげつそうがん)合作の掛け軸(絵は狩野探幽、歌が伊達政宗)。
伊達政宗没後、茶人・清水道閑(しみずどうかん)が狩野探幽に画を依頼したという意味の江月宗玩の賛があります。

絵は狩野探幽、歌が伊達政宗という「古歌 咲時ハ」
登米懐古館
名称 登米懐古館/とよまかいこかん
所在地 宮城県登米市登米町寺池桜小路103-9
関連HP とよま振興公社公式ホームページ
電車・バスで JR瀬峰駅から宮城交通バス登米行きで1時間、登米営業所下車
ドライブで 三陸自動車道登米ICから約4.2km
駐車場 とよま観光物産センター遠山之里駐車場(50台/無料)
問い合わせ 登米懐古館 TEL:0220-52-3578
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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