教育資料館

教育資料館

宮城県登米市(とめし)登米(とよま)地区は「宮城の明治村」といわれ、多くの歴史的建造物が残っている城下町。旧登米高等尋常小学校を再生した教育資料館は明治21年10月9日竣工で、明治の洋風学校建築を代表する建物。国の重要文化財に指定されています。

明治21年に建てられた高等尋常小学校

木造2階建ての寄棟造り、瓦葺きの校舎で、平面は「コ」の字形。
正面校舎の中央に吹抜式玄関があり、2階にバルコニーが設置されているのが特徴的。
両翼校舎の先端には六角形を半分にした形の部分が、生徒の出入口です。

昭和48年まで実際に校舎として使用されていたもので、昭和59年には登米中学校校舎改築のため仮校舎として使用されています。
平成元年に保存のための修復工事が行なわれ、建設当時の状態に復元。
館内には大正時代の授業風景が再現されています。

教室の前には、吹抜けで欄干を有する廊下があり、明治の学校建築の特色を残しています。
教室の窓は両側にあり、当時としては大変貴重な板硝子を使用。
廊下の壁が白色なのは館内を明るく保つため、教室内は光の乱反射を防ぐように灰色となっている点にも注目を。
明治から昭和初期の子供用の着物が用意され、着用しての記念撮影も可能。

現代に残る山添喜三郎の代表的建築物

登米高等尋常小学校を設計、工事を監督したのは新潟県西蒲原郡角海浜村(現・新潟市)出身の山添喜三郎(やまぞえきさぶろう)。
明治6年のウイーン万博博覧会開催にあたり、日本館の建設後に西洋建築技術を習得するため、9ヶ月半にわたってヨーロッパに滞在し、明治18年、43歳で宮城県庁に雇われ、技師として登米高等尋常小学校、登米警察署庁舎(現・警察資料館)にも携わっています。
屋根に使う瓦、建物の木材も基準が厳しく、たとえば屋根瓦は吸水量が多いものは不合格品として使わなかったため、倒産した瓦屋が出るほどだったとか。
工事請負をした大工棟梁も、慣れない洋風建築のため、家財を売り払っても借財が残り、ついに夜逃げ同様に登米を去ったと伝えられています。
その厳しさ故に、今日でも狂いがなく、山添喜三郎の評価を高めています。

教育資料館
名称 教育資料館/きょういくしりょうかん
所在地 宮城県登米市登米町寺池桜小路6
関連HP とよま振興公社公式ホームページ
電車・バスで JR仙台駅から東日本急行高速乗合バスとよま総合支所線で1時間30分、とよま明治村下車
ドライブで 三陸自動車道登米ICから約4.3km。または、三陸自動車道桃生津山ICから約8.5km
駐車場 とよま観光物産センター遠山之里駐車場(50台/無料)
問い合わせ 教育資料館 TEL:0220-52-2496
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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