水沢県庁記念館(みやぎの明治村)

水沢県庁記念館(みやぎの明治村)

みやぎの明治村と呼ばれる宮城県登米市にある明治5年に水沢県庁舎として建てられた建物が水沢県庁記念館。水沢県は、聞き慣れない県名ですが、明治維新後には全国に旧藩などをそのまま県に置き換えたりしたため、県が多数誕生しました。戊辰戦争で新政府に対立した仙台藩では、県北に水沢県が設置されています。

明治維新後に県庁舎だった和洋折衷建築

明治4年12月13日、現在の宮城県の北部と岩手県の南部が水沢県(みずさわけん)となり、明治8年11月22日、県庁を磐井郡一関村に移転して磐井県が誕生するまで使用されていた水沢県庁舎(明治5年完成)だった建物。

玄関は入母屋造り(いりもやづくり)で、破風(はふ)には狐格子(きつねごうし)を付した日本建築で、本棟は洋風の木造平屋建てという、独特の和洋折衷の建物。
県庁が移転してからは、学校、裁判所、登米町老人センターなどとして使われていました。
昭和43年に町道の新設工事で現在地に移転し、平成元年に保存復元工事が行なわれ、公開、内部には、宮城県誕生の経緯や、当時の資料を展示されています。

宮城県登米市では、水沢県庁記念館のほか、教育資料館、警察資料館、登米懐古館、伝統芸能伝承館 森舞台、高倉勝子美術館 桜小路を総称して「みやぎの明治村」と呼んでいます(6施設共通観覧券を用意)。

宮城県誕生まで、明治初年には小さな県が分立

幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)で奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい=陸奥国、出羽国、越後国の諸藩による軍事同盟)を結成し、盟主となった仙台藩。
敗戦により、新政府に対し開城、恭順するも、表高62万石から実高28万石に減封され、宮城県中部のみを領有することになったのです。
明治2年、旧登米町(現登米市登米町)周辺は、仙台藩から分離され、常陸土浦藩取締地を経て明治政府の直轄となり、涌谷県(わくやけん/県庁=遠田郡涌谷)が設置されています。

4ヶ月後には県庁を登米郡寺池村に移転して登米県(とよまけん)と改称。
登米県の県庁舎が建設されています。

明治4年12月13日、現在の宮城県の北部と岩手県の南部が水沢県(みずさわけん)となり、明治5年に登米県庁として建設された建物はそのまま水沢県庁舎として使用されています。
明治8年11月22日、県庁を磐井郡一関村に移転して磐井県が誕生。
明治9年に陸中国が岩手県に、陸前国が宮城県に合併され、磐井県は廃止に。
水沢県という名称は、胆沢郡水沢(現在の岩手県奥州市)への県庁移転を予定していたから付けられた県名です。

水沢県庁記念館(みやぎの明治村)
名称 水沢県庁記念館(みやぎの明治村)/みずさわけんちょうきねんかん(みやぎのめいじむら)
所在地 宮城県登米市登米町寺池桜小路1-5
関連HP とよま振興公社公式ホームページ
ドライブで 三陸自動車道登米ICから約4.3km。または、三陸自動車道桃生津山ICから約8.5km
駐車場 とよま観光物産センター遠山之里駐車場(50台/無料)
問い合わせ 水沢県庁記念館 TEL:0220-52-2160
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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