京都に伝わる「もったいない精神」とは!?

食にこだわる京都人ですが、京都には食材を余す所なく使うという「もったいない精神」が息づいています。この「もったいない精神」が物を大切にし、無駄なく使い切る(始末する)「しまつの文化」を生み出しています。現代のフードロス削減、さらにはSDGsにも通じる京都人の価値観とも言えるでしょう。

漢字で表記すると「勿体無い」

大阪の料理は「始末の料理」といわれるように、京阪神に伝わるのが、「しまつの文化」。
商家の家訓にも帳尻を合わせる、着地点を見出しうまく終わるように物事を進めるという心がけが重要視されてきました。

なかでも京の都は、平安京遷都以来、消費地としての都市、農業生産地としての郊外という成り立ちが続いてきました。
京野菜と称されるものは、近郊の農村部で産する野菜で、野菜に関しては消費地と生産地が近接、そして魚介などは鯖街道で知られるように塩蔵などの下処理をして街道を運ばれてきました。
こうした地勢が京都的な「始末の料理」を生み出したのだと推測できます。

「もったいない」は、漢字で表記すると「勿体無い」。
実は、この勿体は、「物体」のこと。
仏教では、物の本質的な価値、本来あるべき姿で、すべてのものが単独で存在するのではなく、互いの繋がりによって成り立っていることを指す言葉です。
「勿体無い」は、まさに本質的な価値が失われること。

室町時代の浄土真宗の僧・蓮如(れんにょ=「本願寺中興の祖」で真宗大谷派の寺には像が建っていることも多々あります)は、廊下で落ちている紙切れを見つけた際、「仏法領(阿弥陀仏より恵まれたもの)を粗末にするのか」と諭したと伝えられています。
仏教では、身の回りにあるすべてのものは、「阿弥陀仏からの預かりもの」とされ、とくに浄土真宗ではこれが重要視されました。

その本山の置かれた京の都にこうした仏教文化が根ざすのは当然のことで、とくに戦国時代以降に京の町に普及していったのです。

「もったいない精神」が支える「もてなしの食文化」

京都には食材を盛り付ける漆器、陶磁器、木工品などの工芸品も作家が多く、季節感を大切に、人をもてなす心が育まれてきました。
発酵によって生じた奥深い旨味を感じさせる千枚漬、すぐき、しば漬などの発酵食品も、もったいない精神から生まれた保存食。
豆腐、湯葉、生麩などの加工食品も、禅宗の影響も受けて誕生し、素材を使い切った食品です。
こうした本物・本質志向が、京都に伝わる「もったいない精神」、「しまつの文化」なのです。

京料理といわれる料理は、平安時代に宮中で生まれた雅な有職料理(ゆうそくりょうり)、室町時代に武家で確立された格式を重んじ、儀礼的な本膳料理(ほんぜんりょうり)、仏教の戒律に従い肉や魚を用いない精進料理(しょうじんりょうり)、茶の湯の席で出される季節を重んじる懐石、そして新鮮な川魚を使った川魚料理などが融合したもの。
それを支えるのが食材を巧みに使い切る「しまつの文化」ということに。

訪日外国人観光客が京都を好むのは、単に歴史的な社寺が多いからではなく、こうした京文化に触れることで「おもいやり」、「おもてなしの心」を感じるからでもあるのです。
そうして京を訪れた旅人に「ありがたい」「ありがとう」という気持ちを生み出すことで、日本を感じ取っているのかもしれません。

環境保護活動家ワンガリ・マータイ(環境分野で初のノーベル平和賞を受賞)は、2005年の初来日で「もったいない」という言葉を知り、循環型社会を築く上で大切な3R(Reduce、Reuse、Recycle)にRespect(限りある大切な資源への尊敬の念・愛)を加えた精神として「Mottainai」と表現しています。
英語に訳せない「Mottainai」は、まさに京がルーツの世界に誇れる日本文化といえるでしょう。

京都に伝わる「もったいない精神」とは!?
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京都に伝わる「もったいない精神」とは!?

食にこだわる京都人ですが、京都には食材を余す所なく使うという「もったいない精神」が息づいています。この「もったいない精神」が物を大切にし、無駄なく使い切る(始末する)「しまつの文化」を生み出しています。現代のフードロス削減、さらにはSDGs

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