奈良県吉野郡吉野町、飛鳥時代から奈良時代にかけて吉野宮(よしののみや)のあった所とされる宮滝地区。斉明、天武、持統、文武、元正、 聖武天皇がたびたび訪れたと伝わる景勝地が吉野川の宮滝です。滝はいわゆる瀑布の意味ではなく、貝原益軒が「宮滝は滝にあらず」と記しているように、水のたぎり流れる場所の意。
吉野宮脇を流れる吉野川の瀬
『万葉集』にも宮滝の名はなく、「山川も依り て仕ふる神ながら激(たき)つ河内に船出せすかも」(柿本人麻呂)と歌われています。
つまり吉野川の激流を激(たき)と表現しているのです(当時、滝は「垂水」と表していました)。
柿本人麻呂の吉野行幸歌に「この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす みなそそく 滝のみやこは 見れど飽かぬかも」と一帯を「滝のみやこ」と表現してもいます。
奈良県道39号(五條吉野線)沿いの柴橋上流に展望地が用意され、吉奈川の早瀬を眺めることができます。
斉明天皇が吉野に築いた吉野宮(吉野離宮)があったとされるのは、現在の吉野宮滝野外学校周辺(宮滝集落のほぼ全域から、飛鳥時代~奈良時代の遺物が確認されています)。
以降、大海人皇子(後の天武天皇)、持統天皇、文武天皇、元正天皇、聖武天皇などの行幸があり、とくに天武天皇元年(672年)、大海人皇子が、大友皇子を皇太子として推挙し、出家を申し出て吉野宮に下った際には、壬申の乱(じんしんのらん)の起点となっています。
持統天皇(女帝)は在位中に31回、位を退いてからも2回、吉野を訪れていますが、吉野山だけでなく、吉野宮が目的地でもあったのです。
そんな持統天皇の行幸に同行して、柿本人麻呂などが吉野宮を褒め称えて詠んだ歌を残しているのです。
宮滝 | |
名称 | 宮滝/みやたき |
所在地 | 奈良県吉野郡吉野町宮滝 |
電車・バスで | 近鉄大和上市駅から奈良交通バスで15分、宮滝下車 |
ドライブで | 西名阪自動車道郡山ICから約39km |
問い合わせ | 吉野町観光案内所 TEL:0746-39-9237 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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