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酒船石遺跡

酒船石遺跡

奈良県明日香村岡、飛鳥宮跡の北東の丘陵にある亀形石造物・小判形石造物、取り囲む石垣をメインとする遺跡が、酒船石遺跡(さかふねいしいせき)。飛鳥時代に何らかの天皇祭祀が行なわれた遺構だと推測され、世界遺産への国内推薦候「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産にもなっています。

国家形成期の宗教的側面を示す祭祀遺跡

亀形石造物(右)と小判形石造物

丘陵の上に酒船石、丘陵裾には亀形をした石槽、地下からの湧き水を地上へ導水する湧水施設があり平坦な表面に液の溜まりと溝様の彫り込みがある謎に包まれていた酒船石も、現在では天皇による国家祭祀遺跡と推定されるようになってきました。

亀の形を彫った亀形石造物は、井戸水が、まずは小判型の水槽にたまり、続いて亀の鼻から亀形石造物の甲羅の中にたまる仕組みになっていることから、古代の水を使った祭祀施設と推測されています。
小判型の石も同様で、飛鳥時代に何らかの天皇祭祀が行われた遺構だと考えられています。

平成4年に酒船石の北の斜面で石垣が発見され、その後の発掘調査で全長700mにも及び酒船丘陵を取り囲む石垣であることが判明。
この石垣は、『日本書紀』斉明紀二年是歳(656年)の条に記されている「田身嶺(たむのみね)に、冠らしむるに周れる垣を以てす。田身は山の名なり。此には大務(たむ)と云ふ。復、嶺の上の両(ふた)つの槻の樹の辺に、観(たかどの)を起つ。号けて両槻宮(ふたつきのみや)とす。亦天宮と曰ふ。」の記事の「冠らしむるに周れる垣を以てす」と符合しています。

大陸伝来の技術を取り入れながら、古墳時代以来の水の祭祀の性格を引き継いだ施設で、飛鳥時代の貴重な遺跡として「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産にもなっているのです。

白鳳南海地震(684年)によって斜面をずり落ちた形跡があること、さらに階段状になった石垣や亀形石造物・小判形石造物など、大規模な土木工事が行なわれていることから、一帯の丘陵が斉明天皇の両槻宮(ふたつきのみや)の跡あるいは大嘗祭のために仮設される祭場・大嘗宮(だいじょうきゅう)である可能性も増しています。

亀の形を彫った亀形石造物
酒船石
酒船石遺跡
名称亀形石造物・小判形石造物(酒船石遺跡)/かめがたせきぞうぶつ・こばんがたせきぞうぶつ(さかふねいしいせき)
所在地奈良県高市郡明日香村岡
関連HP明日香村公式ホームページ
明日香村観光ポータルサイト
電車・バスで近鉄橿原神宮前駅東口、または飛鳥駅から奈良交通明日香周遊バスで、万葉文化館西口下車すぐ
ドライブで南阪奈道路葛城ICから約14km
駐車場なし
問い合わせ明日香村地域振興公社 TEL:0744-54-4577
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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