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吉備姫王墓(檜隈墓)

欽明天皇の孫で、天智天皇・天武天皇の祖母にあたるのが吉備姫王(きびひめのみこ/きびひめのおおきみ)。7世紀前半の王女で、桜井皇子(欽明天皇の第六皇子)の娘。茅渟王(ちぬのおおきみ)の后で宝皇女(皇極天皇・斉明天皇)・軽王(孝徳天皇)の母。その墓と推測されるのが吉備姫王墓(檜隈墓=ひのくまのはか)です。

欽明天皇陵の南西に、孫娘の吉備姫王の墳墓が

吉備姫王の陵墓は、『日本書紀』には皇極天皇2年(643年)9月に亡くなり、檀弓岡(まゆみのおか)に葬られたとありますが、平安時代編纂の『延喜式』諸陵寮(しょりょうりょう/みささぎのつかさ)には欽明天皇陵の御陵内に墓があると記されていることから、現在の檜隈墓に治定され、宮内省が管理しています。
陵墓の正式名称は「敏達天皇皇孫茅渟王妃吉備姫王 檜隈墓」。

直径8m程度の円墳と推測できますが、古墳の形、築造年代、構造などの詳細は不明

傍らには前方後円墳の欽明天皇の陵墓(梅山古墳)があり、その陵墓から江戸時代に発見されたという猿石が吉備姫王墓の横に置かれています(注/近年では見瀬丸山古墳を欽明天皇陵とする説もありますが宮内庁は梅山古墳を欽明天皇の陵墓に治定しています)。
欽明天皇は祖父ということですから陪塚(ばいづか)ということに。

吉備姫王墓(檜隈墓)
名称 吉備姫王墓(檜隈墓)/きびひめのみこ・きびひめのおおきみのはか(ひのくまのはか)
Mausoleum of Princess Kibihime
所在地 奈良県高市郡明日香村平田
関連HP 明日香村観光ポータルサイト
電車・バスで 近鉄飛鳥駅から徒歩5分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約20km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 明日香村地域振興公社 TEL:0744-54-4577
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

猿石

2017年12月7日

 

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