国立公園は、アメリカのイエローストーンが世界初で1872年のこと。日本では1911年、「日光山ヲ大日本帝国公園ト為スノ請願」が議会に提出され、1931年に国立公園法が制定。1934年3月16日、最初に国立公園となったのは、日光ではなく、瀬戸内海、雲仙、霧島の3ヶ所でした。
公園制定の目的は自然保護か、国民の利用か、意見も対立

日本の国立公園は、「日光山ヲ大日本帝国公園ト為スノ請願」が地元・日光町から第27回帝国議会(1911年)、第28回帝国議会(1912年)に上申されたのが始まり。
日光は、明治維新後、東京に大使館を構える外交官などが軽井沢とともに注目した避暑地で、金谷ホテルも築かれ、日光鉄道が開通するなど近代的行楽地として発展していました。
そうした請願を受けたこともあって、内務省は、田村剛(たむらつよし=『造園概論』のなかで「自然公園」という言葉を使用)を中心に、1921年に国立公園候補地調査を開始しています。
当時の日本の有識者は、国立公園を、自然保護を主目的として捉えるか、公衆保健のための公園とするのかで意見が分かれていました。
田村剛博士は、積極保護派ではなく、国民に公開し利用を促進するという立場で、今の国立公園の基礎となる考えです。
さらに1931年、「国立公園ノ選定ニ関スル方針」として「それぞれの風景形式としてのナンバーワンが国立公園」と定めています。
1957年に国立公園法は大きく改定され、自然公園法になり、国立公園、国定公園、都道府県立自然公園といった現在の自然公園体系が確立しています。
国立公園、国定公園とも環境大臣が指定しますが、国立公園は環境省が管理、国定公園は都道府県の管理となっています。
日本最初の国立公園は、瀬戸内海、雲仙、霧島の3ヶ所

国立公園の候補地として日本国内の16地点が最初に選定され、そのなかから12地点に絞られ、1934年3月16日に誕生したのが、瀬戸内海国立公園、雲仙国立公園(現・雲仙天草国立公園)、霧島国立公園(現・霧島錦江湾国立公園)です。
さらに同年12月4日に、大雪山国立公園、阿寒国立公園(現・阿寒摩周国立公園)、日光国立公園、中部山岳国立公園、阿蘇国立公園(現・阿蘇くじゅう国立公園)が追加で指定されています。
瀬戸内海が第1号となったのは、当時、地理学者たちが「世界で最も魅力的な場所」と称賛したことも背景にあったと推測できます。
しかも鷲羽山のある岡山県が、田村剛博士の故郷(倉敷市出身)だったというのも、瀬戸内海が1号として採用された理由のひとつ。
雲仙は日光同様に、上海などに駐在する外交官、軍人の夏の避暑地ということも影響したかもしれません(昭和恐慌を受けた外客誘致による経済振興という側面がありました)。
霧島は、天孫降臨伝説のある高千穂峰がシンボルで、「神が宿る神聖な場所」が近代化で変化しつつあるという背景があったと推測できます。
しかも坂本龍馬が新婚旅行の地に選んだように、今以上に注目度の高い観光地、温泉保養地でもあったのです。
日光の国立公園制定への請願に社寺が徳川幕府の保護から外れ、また水害などの影響もあり荒廃が進んだという背景があり、霧島も同様の問題を抱えていました。
1934年に誕生した国立公園8ヶ所ですが、自然を保護しながら上手に利用するワイズユース(Wise Use)という考え方は、今も踏襲されています。
国立公園法では「國立公園トハ自然ノ大風景地ヲ保護開發シ國民ノ保健休養教化ニ共用スル爲國ノ設定スル公園」と定められていますが、国立公園の指定は、その後の観光業の発展にも大きく寄与し、人々が自然に親しみながらその価値を再認識するきっかけを生んだのです。
日本初の国立公園は、1934年に誕生した西日本の3ヶ所、その理由とは!? | |
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