忍者には様々な流派(忍術の流派)がありますが、なかでも有名なのが室町幕府と対立した甲賀流、徳川家康と密接な関係を有した伊賀流、そして修験道をルーツに発展した戸隠流(とがくれりゅう)。その拠点となる地には、「忍者屋敷」が存在し、ご当地の忍術を今に伝えています。
伊賀流忍術|三重県伊賀市
歴史:京の都に近い山に囲まれた盆地ということから、都から落ち延びてきた亡命者が多く、とくに物部氏の一族、渡来系といわれる服部氏は、呪術や奇術を得意として、後に忍術として大成
本能寺の変の際、徳川家康が滞在先の堺から三河へ脱出する「伊賀越え」を服部半蔵(正成)が支えた話は有名で、後に伊賀者は徳川家臣団の中核となっています
特徴:呪術、火術を得意とする忍法で、臨兵闘者皆陣列在前(りんひょうとうしゃかいじんれつざいぜん)など印を結ぶ「九字護身法」が有名
これは精神統一を促し、自己暗示をかけるものともいわれ、山伏などの作法(修験道)にも共通するものがあります
見学・体験施設:伊賀流忍者博物館(伊賀流忍者屋敷)/三重県伊賀市上野丸之内117
伊賀流忍者体験施設/三重県伊賀市上野丸之内29
甲賀流忍術|滋賀県甲賀市
歴史:飯道山系(滋賀県甲賀地方)の山岳信仰(修験道)がルーツで、修験道や薬業に長けた九曜星を家紋とする一族
戦国時代、甲賀の地侍・「甲賀衆」(「甲賀五十三家」)は普段は農業を営み、時には行商に出向き、いざというときには戦場に赴くスタイルでした(兵農分離以前の形態)
とくに製薬に長けるもの、そして行商先などでの諜報活動に秀でていたので、六角氏が重宝
六角氏滅亡後は織田信長の配下として活躍しています
本能寺の変の際、徳川家康の三河への脱出の手助けも行なっています
豊臣秀吉によって改易となり、以降は甲賀古士と称されるように
江戸時代初期に忍術書『万川集海』(まんせんしゅうかい)を編纂し、寺社奉行に提出
特徴:甲賀武士団の神出鬼没の戦術やその高い戦闘能力の印象が、「甲賀忍者」と呼ばれるようになったもので、とくに薬草の使い方に長けていました
見学・体験施設:甲賀流忍術屋敷/滋賀県甲賀市甲南町竜法師2331
戸隠流忍術|長野県長野市
歴史:戸隠山の修験道をルーツにし、伝承では仁科大助が伊賀流忍術を取り入れて大成
修験道では、悟りへの道として身体の頑強さが前提となるため、断食、峰修行(山岳縦走)、滝行などの荒行が取り入れられていますが、その鍛錬が戦国時代に戦に生かされるようになったと推測されます
特徴:敵の攻撃に対する防御に重点を置くのが特徴で、特有の手裏剣に「銛盤」があります(ひし形をした小さな武器で中央に穴があり、敵地で釘を取り除いたりするくぎ抜き的な活用も)
山伏がルーツのため、長距離歩行には長け、1日に120km〜150km歩くことができたとも
見学・体験施設:戸隠民俗館・戸隠流忍法資料館・忍者からくり屋敷/長野県長野市戸隠3688-12
チビッ子忍者村/長野県長野市戸隠3193
| 「日本三大忍者の里」で、忍者屋敷を見学! | |
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