穂高見命(ほたかのみこと)を祭神とする穂高神社(ほたかじんじゃ)は、安曇野市穂高に本社、上高地・明神池に奥宮がありますが、日本第3の高峰・奥穂高岳(標高3190m/長野県松本市)の頂上に嶺宮(みねみや)が鎮座し、まさに北アルプス(日本アルプス)の総鎮守的な存在になっています。嶺宮は祠(ほこら)だけで、無人です。
奥穂高岳山頂に鎮座する「日本アルプス総鎮守」
奥穂高岳の山頂に嶺宮があるのは、穂高見命が降臨したと伝えられる地だから。
奥宮のある上高地もかつては神垣内(かみこうち)と記し、神域であることを意味していました。
穂高見命の父は、日本神話の海の神、綿津見命(わたつみのみこと)。
穂高見命の子孫である海人族・阿曇氏(あずみうじ)は玄界灘に君臨していましたが(福岡市・志賀島の志賀海神社は、全国の綿津見神社、海神社の総本社で、阿曇氏ゆかりの地)、現・愛知県の渥美半島に上陸(渥美は安曇に由来/諸説あります)、あるいはヒスイの産する姫川沿いに南下し、安曇野へと入植したと伝えられています。
海洋的な神事である『御船祭』が伝わるのも、海人族がルーツだから。
飛鳥時代、百済救援軍の将軍で、白村江の戦いで戦死したとされる阿曇比羅夫(あずみのひらふ)も阿曇氏の一族で、穂高神社に祀られています。
なぜ海人族・安曇氏が山国の安曇野に入植したのかは定かでありませんが、ヤマト王権の地方支配の拠点である屯倉(みやけ)が信濃国に置かれた際に派遣された可能性もありますが、今も古代史の大きな謎のひとつです。
記録に残る奥穂高岳の初登頂は、明治39年、測量官・阿部郡治ですが、元禄6年(1693年)に穂高神社の宮司は「穂高嶽」と記載しているので、江戸時代から穂高という山名は定着していたことがわかります。
山案内人だった今田重太郎(岳沢から奥穂高岳に至る重太郎新道を開削)が白出のコルに穂高岳山荘(当時は穂高小屋)を開設したのは大正14年、昭和5年に奥穂高山頂に小さな社を築いていますが、これが穂高神社嶺宮の始まりです。
現在の祠は平成26年に穂高神社が設置したもので、以降は正式な穂高神社嶺宮となっています(それ以前は穂高岳山荘が管理)。
穂高神社嶺宮の御朱印は、穂高神社本社、上高地の奥宮で登拝の旨を伝えると授与してもらえます。
穂高神社嶺宮 | |
名称 | 穂高神社嶺宮/ほたかじんじゃみねみや |
所在地 | 長野県松本市安曇上高地 |
関連HP | 穂高神社公式ホームページ |
電車・バスで | 松本電鉄新島々駅から松本電鉄バス上高地行きで1時間10分、終点下車で上高地 |
ドライブで | 長野自動車道松本ICから約33kmで沢渡地区駐車場。路線バスで上高地バスターミナル(マイカー規制実施中) |
駐車場 | 沢渡地区駐車場(2156台/有料) |
問い合わせ | 穂高神社 TEL:0263-82-2003/FAX:0263-82-8770 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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