サイトアイコン ニッポン旅マガジン

出島和蘭商館跡・ヘトル部屋

出島和蘭商館跡・ヘトル部屋

鎖国時代に日本と西欧を結ぶ唯一の窓口だったのが長崎・出島。扇形をした人工島は寛永18年(1641年)に平戸のオランダ商館を移してから安政の開国までの220年間、阿蘭陀屋敷と呼ばれていました。出島和蘭商館跡には当時の商館、倉庫などが復元されていますが「ヘトル部屋」は、商館長の次ぎに地位が高い次席の住居だったもの。

商館長次席はヘトルは案內所・売店に

復元されたヘトル部屋の1階に案内所と売店があり、2階には物見台も付いた多目的ホールになっています。
売店では、オランダ東インド会社(Verenigde Oost-Indische Compagnie)のVOCマークが刻印された皿など出島にちなんだオリジナルの商品などを販売

商館長はカピタン(kapitein/甲比丹、もともとはポルトガルとの交易時代のポルトガル語のCapitãoに由来、オランダ語で商館長はOpperhoofd=オッペルホーフト)、商館長次席はヘトル(Feitor/フェイトール=幹事・監督者)と呼ばれていました。

画像協力/(一社)長崎県観光連盟

出島和蘭商館跡・ヘトル部屋
名称 出島和蘭商館跡・ヘトル部屋/でじまおらんだしょうかんあと・へとるべや
所在地 長崎県長崎市出島町
関連HP 出島公式ホームページ
電車・バスで JR長崎駅から正覚寺下行き路面電車で5分、出島下車すぐ
ドライブで 長崎自動車道長崎ICから約4km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 出島総合案内所 TEL:095-821-7200
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

出島和蘭商館跡

長崎の出島は、寛永13年(1636年)に築造され、安政6年(1859年)に日蘭通商条約の締結でオランダ商館が閉鎖されるまで218年間にわたり、幕府の鎖国政策のなかで唯一西欧に開かれていた場所。平成8年から出島の復元が始められ、出島和蘭商館跡

出島和蘭商館跡・旧長崎内外クラブ

長崎県長崎市の出島のオランダ商館を復元した出島和蘭商館跡。そのなかにある洋館、旧長崎内外クラブは、開港後の明治36年、長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として、イギリス人貿易商のフレデリック・リンガーによって建てられたもの。広々としたバ

出島和蘭商館跡・旧出島神学校

長崎県長崎市、国の史跡となった出島和蘭商館跡(オランダ商館の復元)にある旧出島神学校は、明治11年に建てられた出島英和学校、聖アンデレ神学校の校舎として使われた出島神学校を修復したもの。2階には17世紀の商館員たちの遊戯施設だったビリヤード

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了