長崎県島原市万町、中央街アーケードにあるのが島原湧水群・しまばら水屋敷。明治5年に島原の豪商・中山要衛門が建てた屋敷を平成7年に茶房として再生したもの。擬洋風建築の2階部分は明治30年頃の増築。庭にある池から1日4000tという膨大な湧水が湧き出すため、水屋敷の名が付いています。
明治建築の豪商の屋敷でひと休み
庭園は築山風で、鯉が泳ぐ湧水池があり、水量1日4000トンにもなる清らかな水がこんこんと湧き出しています。
水温は15度で一定で、往時には湧き出した水は、万町の水路に流れて、各家に引き込まれ、生活用水として活用されていました。
島原名物のスイーツ「かんざらし」は、手作りの白玉が美味。
高橋謙作製麺の製品を使った手延べそうめん、湧水で立てるコーヒーも味わえます。
コーヒーもコーヒー伝来の地・長崎で栽培・焙煎された豆を使った「寿古珈琲」を使用。
中山家は、寛政4年4月1日(1792年5月21日)に起こった雲仙・普賢岳の噴火に伴う眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)の際には、伊勢参りに出かけて不在で難を逃れ、災害後の荒地で裸一貫から豪商へと復興しています。
天保7年(1836年)の飢饉の際に、藩へ寄付しなかったことから「けちんぼ」などの誹りを受けましたが、天保8年(1837年)には内海新田の干拓工事に年寄りや女、子供に至るまで人夫として雇い、普通より高い賃金を支払っています。
つまりは「一時的な施しには限界があり、長期的に仕事をして、生きるということのほうが大事」と行動で示したのです。
日本興業銀行会長、経済同友会代表幹事の中山素平(なかやまそへい)は後裔で、中学時代までこの家で暮らしたのだとか。
島原湧水群には眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」)以前からある溶岩泉(溶岩などの透水層が重なり、その間を通って流れ出る水)と、眉山崩壊時の地殻変動で、水の通り道が塞がれたり、地割れが生じたことで湧出する水の2タイプがありますが、しまばら水屋敷は典型的な溶岩泉です。
島原湧水群は島原半島世界ジオパークのジオサイト(自然の恵み)にもなっています。
島原湧水群・しまばら水屋敷 | |
名称 | 島原湧水群・しまばら水屋敷/しまばらゆうすいぐん・しまばらみずやしき |
所在地 | 長崎県島原市万町513中央街アーケード |
関連HP | しまばら水屋敷公式ホームページ |
電車・バスで | 島原鉄道島原駅から徒歩8分 |
ドライブで | 長崎自動車道諫早ICから約42km |
駐車場 | なし/万町商店街駐車場(有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | しまばら水屋敷 TEL:0957-62-8555/FAX:0957-62-8555 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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