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城山砲台跡

城山砲台跡

長崎県対馬市美津島町、対馬にある天智天皇6年(667年)に築城された古代山城の金田城(かなたのき/国の特別史跡)の城郭の一角に、日露戦争に備えて明治34年に築かれた砲台の跡が城山砲台跡(じょうやまほうだいあと)。山上までの道は、砲台構築時に開削された軍道を整備したもの。

古代に防人が守った山城に、日露戦争時に築かれた砲台

金田城は、下対馬の北端、浅茅湾(あそうわん)に臨み、朝鮮半島を視認する山上に位置する古代山城。
もともと天然の要塞ともいえる険しい岩山に、総延長2.8kmに及ぶ石塁(城壁)が巡らせ、唐・新羅連合軍の侵入に備えたのです。

北に眺める浅茅湾では、文久元年(1861年)、ロシア軍艦「ポサドニック号」が対馬に来航し、芋崎を半年にわたって不法占拠、略奪行為を繰り返すというロシア軍艦対馬占領事件が勃発。
島民に犠牲者が出るなど、幕府を巻きこむ大きな外交問題(ポサドニック号事件)にまで発展したという苦い経験もあったのです(このとき、ロシア側は芋崎の永久租借を要求)。

こうした事件を背景に、ロシアの南下政策では、不凍港を求めて対馬侵略を企てる可能性も大いにあり、日清戦争後に対馬全体の砲台30以上を築いて、島を要塞化したのです。
対馬要塞は、浅茅湾沿いの芋崎砲台、温江砲台、大平(低)砲台、大石浦砲台(いずれも明治21年完成)を手始めに、明治20年4月から工事が開始されていますが、これは最重要とされた東京湾要塞に次いで日本で2番目に着工した要塞。

城山砲台は、明治33年4月に着工、明治34年11月に竣工。
28cm榴弾砲を4門備えて、ロシア艦隊の到来に備えたのです。
敵艦を砲撃するだけでなく、敵軍の上陸にも備え城山付属堡塁(じょうやまふぞくほうるい)も築き、9cm臼砲(きゅうほう)4門を備えています。

浅茅湾では四十八谷砲台(明治33年完成)、大平高砲台(明治34年)、城山砲台・城山付属堡塁(明治34年)が、三浦湾では姫神山砲台(明治34年)、折瀬ヶ鼻砲台(明治35年)が、舟志湾では根緒堡塁(明治36年)、上見坂堡塁(明治35年)が日露戦争前の明治36年3月までに完成し、要塞を形成しています。

見学は金田城登山口駐車場を起点に、「山頂コース」(東南角石塁、南西部石塁経由)で到達。
駐車場から50分ほどの行程です。

城山砲台跡
名称 城山砲台跡/じょうやまほうだいあと
所在地 長崎県対馬市美津島町黒瀬
ドライブで 厳原港から約17km
駐車場 金田城登山口駐車場を利用
問い合わせ 対馬観光物産協会 TEL:0920-52-1566
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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