姫神山砲台跡

姫神山砲台跡

長崎県対馬市美津島町、国境の島・対馬の東岸の高台にあるのが、姫神山砲台跡。ロシア艦隊の来航に備え、明治34年11月に竣工し、日露戦争開戦時には28㎝榴弾砲(りゅうだんほう)6門が備えられた砲台の跡です。対馬要塞でも最大級の規模で、南東側の対馬海峡を守備していました。

対馬要塞の明治時代を代表する巨大な砲台跡

国境の島・対馬は、本土防衛、朝鮮半島への最前線基地として明治20年〜昭和20年までに30ヶ所を超える多くの砲台が建設され、対馬要塞として日本海の西端を守備していました。

また、日露戦争に備え、大日本帝国海軍は、対馬西部の浅茅湾(あそうわん)と東部の三浦湾(みうらわん)を結ぶ万関瀬戸(まんぜきせと=久須保水道)を開削していますが(浅茅湾内の竹敷要港部から佐世保鎮守府までの所要時間を短縮)、姫神山砲台は、敵艦がこの万関運河を通ることを阻止する役割も担っていました。

日本海海戦では水雷艇部隊が万関瀬戸を通って出撃しています。

姫神山砲台は、明治33年2月着工、明治34年11月に竣工。
明治37年1月に6門(2門×3基)の28cm榴弾砲が備え付けられましたが、明治38年5月27日〜5月28日の日本海海戦で、東郷平八郎率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破したことで、実戦につかわれることなく終戦を迎えています。
対馬北端で朝鮮海峡を睨む豊砲台、そして対馬海峡を守備する姫神山砲台などの砲台群があったことで、第二次世界大戦でも日本海側の主要都市が艦砲射撃を受けなかったともいわれています。

対馬の明治時代を代表する砲台跡で、堅牢な施設は、赤レンガと砂岩で築かれ、右翼・左翼の両観測所からは、リアス式海岸の浅茅湾、対馬海峡を一望にします。

姫神山砲台跡へは、美津島町緒方地区(姫神山砲台駐車場)からかつての軍用道路を歩いて40分ほどの行程。
かなり奥まで車で侵入できるようになっていますが、レンタカーなどでは無理。
ジムニーなどでなければ歩くことをおすすめします。

国境の島・対馬には姫神山砲台のほか、豊砲台、城山砲台、芋崎砲台、西泊砲台などの遺構が残されています。

姫神山砲台跡
名称 姫神山砲台跡/ひめがみやまほうだいあと
所在地 長崎県対馬市美津島町緒方
関連HP 対馬観光物産協会公式ホームページ
電車・バスで 対馬空港からタクシーで15分、厳原港からタクシーで35分、比田勝港からタクシーで1時間35分
ドライブで 対馬空港からタクシーで約7km、厳原港から約18km、比田勝港から約66km
駐車場 姫神山砲台駐車場
問い合わせ 対馬観光物産協会 TEL:0920-52-1655
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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