宇都宮城

宇都宮城

栃木県の県都、宇都宮市にある宇都宮城は、江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった城で、関東七名城にも数えられています。天正18年(1590年)7月26日、豊臣秀吉は宇都宮城に入城し、伊達政宗など東北や関東の諸将の拝謁を受け、戦後の所領措置(朱印状)を申し渡すという「宇都宮仕置」の舞台となっています。

江戸時代には徳川将軍の日光社参の際の宿泊所に

宇都宮城
宇都宮城

平安時代に藤原秀郷(ふじわらのひでさと)、あるいは藤原宗円(ふじわらのそうえん宇都宮氏の祖)が築いたとされ、中世に宇都宮氏の居館となっていました。

宇都宮氏22代・宇都宮国綱(うつのみやくにつな)は、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣し、石田三成の指揮した忍城攻撃などに参加。
小田原攻め直後の「宇都宮仕置」では、下野国18万石の所領を安堵され、文禄3年(1594年)には豊臣姓を下賜されています。
慶長2年10月13日(1597年11月22日)、突如として秀吉の命により改易となり、蒲生秀行(がもうひでゆき)が会津92万石から宇都宮18万石に転封され、入城。
紺屋町など宇都宮城下の整備を進めました。

関ヶ原の戦い後は、奥平家昌、さらには元和5年(1619年)、幕府老中の本多正純(ほんだまさずみ=徳川家康の側近)が入城し、宇都宮城と城下の整備を行なっています。

日光街道(徳川将軍日光社参の道)と奥州街道が通る宇都宮は、徳川幕府にとっても重視した場所であったことは間違いありません。
本多正純は延命院、長楽寺などを寺町を街道沿いに配置して防衛機能を高めています。
そんな本多正純も宇都宮城改修にまつわる本多正純謀反の噂(第2代将軍徳川秀忠の暗殺を図ったとされる冤罪事件の「宇都宮城吊り天井事件」)が流布され、元和8年(1622年)に本多正純は改易。

江戸時代には徳川歴代将軍の日光東照宮参拝の際の宿泊所ともなったため、宇都宮城は譜代大名が城主となり、こまめに入れ替わっています。

幕末の慶応4年4月(1868年5月)には戊辰戦争の激戦地となり、宇都宮城は、城下とともに焼失しています。
その後、東北への進軍の拠点として機能し、板垣退助も駐屯しています。

本丸一帯が宇都宮城址公園として整備

宇都宮城

御本丸広場と復元土塁、復元櫓(清明台)

現在、本丸一帯は宇都宮城址公園として御本丸広場、二の丸広場などが整備されています。
往時の建物は現存していませんが、本丸土塁の一部、本丸西側の土塁上に建つ富士見櫓、清明台、および土塀が復元されています。
富士見櫓、清明台には入城も可能です。

もともと天守がない平城だったため、石垣ではなく10mのたかさの土塁が配されていました。
おほり橋を渡った、復元土塁の内部に宇都宮城の模型などを展示する「宇都宮城ものしり館」、「まちあるき情報館」が整備され、入場無料で見学ができます。
土塁上へは、「宇都宮城ものしり館」からエレベーターを使って上ることが可能。

さらに城址公園内の清明館にも歴史展示館があり、無料で見学ができます。

また、日光御成道沿いに建ち、歴代将軍の休憩所となっていた錫杖寺(しゃくじょうじ/埼玉県川口市本町)に明治41年に宇都宮城の城門を解体、移築したと伝わる山門が現存しています。

宇都宮城 DATA

名称 宇都宮城/うつのみやじょう
所在地 栃木県宇都宮市本丸町2-24
関連HP 宇都宮観光コンベンション協会ホームページ
電車・バスで 東武宇都宮駅から徒歩10分。JR宇都宮駅から徒歩20分
ドライブで 東北自動車道鹿沼ICから8.8km。または、宇都宮ICから約10km
駐車場 宇都宮市役所東駐車場を利用
問い合わせ 宇都宮市公園緑地課 TEL:028-632-2985
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

関東七名城

2018.12.05

錫杖寺

2018.07.15

 

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