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近水園

近水園(おみずえん)は、関ヶ原の合戦後、備中足守に所領替えとなった藩主・木下氏の庭園。足守川の水を引き入れた遠州流の池泉回遊式庭園で、江戸初期の大名庭園らしい風情が感じられるのが特徴。岡山後楽園のある岡山市内にあるので、ちょっと無名な感じがしますが、足守藩木下家(豊臣秀吉の親戚!)のこちらも立派な大名庭園です。

足守藩2万5000石の大名庭園

数寄屋造りの吟風閣

足守藩の藩邸(陣屋)の背後に続く宮路山(御殿山)の麓に造られた大名庭園
池には藩主の長寿を象徴する鶴島・亀島を配置。池畔の山際には数寄屋造りの「吟風閣」(ぎんぷうかく)が建っています。
「吟風閣」は6代藩主・木下公定(きのしたきんさだ/公は正しくはハの下に白)が1708(宝永5)年、京の仙洞御所と中宮御所の普請を行なった折、残材で建てたもので、宇野山を借景(しゃっけい)にした眺望が実に見事です。

庭園は現在、公園として一般公開されており、桜、牡丹、紅葉の時期はとくに賑わいをみせています。

足守藩2万5000石の所領は、備中国内(現・岡山県)の上房郡と賀陽郡で、江戸時代後期には2万2000石が陸奥国伊達郡・信夫郡に移されたため、財政は困窮していました。
初期の武家諸法度に「5万石以上の石高の城主を大名」「5万石未満の陣屋クラスを小名」とわけていることからも、大名というよりは、小名というのが正しい小さな藩だったことがわかります。

幕末に大坂(現・大阪市)に適塾を開いた近代医学の祖・緒方洪庵(おがたこうあん)は、足守藩士。

岡山市内にはほかに備中庭瀬藩(板倉家)があり、ひとつの市町村に3つの藩があったという珍しい県庁所在地となっています。

紅葉も見事
木下家定(足守藩主木下家)
足守藩主木下家は、織田信長の家臣で、尾張国朝日村(現在の愛知県清須市)出身の杉原家定(木下家定)が祖。
杉原家定の妹のねね(おね)が木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に嫁ぎ、秀吉が天下人となって、ねねも北の政所(高台院)となります。ねねの実家が秀吉一族として木下姓を名乗ることを許されました。

家康と旧豊臣勢力が激突した関ヶ原の合戦では、2万5000石の姫路城主・木下家定は、北政所を守護する立場から中立を守り、合戦の翌年、1601(慶長6)年に同じ石高で、備中国足守に所領替となり、一時中断があったものの、幕末まで足守藩主を務めています。


近水園
名称 近水園/おみずえん
所在地 岡山県岡山市北区足守803
関連HP 近水園公式ホームページ
電車・バスで JR吉備線足守駅からタクシーで5分。足守駅にはタクシーが常駐していないので事前予約が必要
ドライブで 岡山自動車道岡山総社ICから約5.5km
駐車場 足守プラザ前駐車場、観光駐車場、藤田千年治邸駐車場を利用
問い合わせ 近水園 TEL:086-295-0981
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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木下利玄生家

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備中足守まちなみ館

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旧足守藩侍屋敷

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