沖縄本島南端の喜屋武岬(きゃんみさき/糸満市)の西500m、海岸の断崖の小さな突端に築かれたグスク(城)が具志川城。三方を海に囲まれた岬の突端に建つ城で、国の史跡。15世紀初頭に久米島を支配した具志川城主・真金声按司(まかねくいあじ)の居城と伝えられています。
久米島を脱出した真金声按司が築城と伝わる沖縄本島南端の城
1743年(寛保3年)に編纂された『久米具志川間切旧記』(くめぐしかわまぎりきゅうき)などによれば、久米島にも同じ名の具志川城がありましたが、伊敷索按司(いしきなわあじ)の二男・真仁古樽按司(まにくたるあじ)に攻められて落城。
真金声按司は、島を脱出して本島に逃れ、故郷と同じ名の具志川城を築いたと伝わっています。
三方が断崖という構図は久米島の具志川城も同じです。
岬の付け根部分が城門で、一段下がって二の郭、さらに一段下がって一の郭が海に突き出ているかたち。
つまりは一の郭(本丸)部分が最も低いという海岸段丘を利用した珍しい形(信州・小諸の小諸城も河岸段丘を利用した「穴城です」)。
一の郭がグスクの主郭で、建造物の跡が確認されています。
二の郭には「ヒーフチミー」(火吹き穴)あるいは「スーフチミー」(潮吹き穴)と呼ばれる穴があり、海岸への脱出ルートとなっています。
突き出した岬に珊瑚礁石灰岩の石垣が現存
現在は城門と珊瑚礁石灰岩を野面積みした石垣が残るのみですが、三方を海に囲まれ自然を巧みに取り入れた難攻不落の要塞であったことがよくわかります。
平成12年度〜平成24年度と12年にわたる保存修復事業が行なわれ、往時の姿が甦っています。
また、遺跡から13世紀中頃〜15世紀中頃の青磁・白磁なそ中国製陶磁器などが発見され、当時の南海貿易の歴史を物語る貴重な遺構にもなっています。
沖縄戦では日本軍によって自然の洞窟を利用して多くの壕が掘られ(具志川城祉の壕)、沖縄本島にアメリカ軍が上陸した直後に多くの若い兵士が手榴弾で自決させられています(13人が犠牲に)。
そんな悲しい歴史を秘めながら、「具志川城跡下」は沖縄屈指のダイビングポイントになっています。
城を訪れる際には草むらではハブに注意が必要。
まだ断崖部分もあるので、子供連れの場合には目を離さないように。
具志川城 | |
名称 | 具志川城/ぐしがわじょう |
所在地 | 沖縄県糸満市喜屋武具志川 |
関連HP | 糸満市公式ホームページ |
電車・バスで | ゆいレール旭橋駅から徒歩3分の那覇バスターミナルから沖縄バス、琉球バス糸満線で30分、糸満バスターミナル下車、琉球バス南部循環線喜屋武廻り(に乗り換え10分、喜屋武下車、徒歩18分 |
ドライブで | 那覇空港から約15.9km。または、那覇空港自動車道名嘉地ICから約11.7km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 糸満市商工観光課 TEL:098-840-8111 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
取材・画像協力/沖縄観光コンベンションビューロー
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