沖縄県うるま市、伊波城跡(伊波貝塚)に西側にある鍾乳洞が、CAVE OKINAWA(けいぶおきなわ)。沖縄戦で住民の命を救った鍾乳洞は、平成30年に照明設備や安全通路も整備され、「気軽に楽しめる神秘の鍾乳洞」としてリニューアル。全長200m、手頃な入洞料で洞窟探検を楽しむことができます。
洞窟探検だけでなく、沖縄戦の歴史を学ぶこともできる
鍾乳洞の正式名は、ぬちしぬじガマで、14世紀(グスク時代・三山時代)、今帰仁城(なきじんぐすく)の王子が戦の際にこの洞窟に逃げ込んで難を逃れ、洗濯に来た女性に助けられて命をつなぎ、後に伊波城を築城したという歴史を有しています(伝承が史実であれば若按司の八男で、伊波城を築城し、伊覇按司を名乗った今帰仁王子ということに)。
鍾乳洞には、メーヌティラ、ナカヌティラ、クシヌティラと呼ばれる3ヶ所の洞口がありますが、沖縄戦の終盤にメーヌティラには嘉手苅地区の住民 160人余り、ナカヌティラとクシヌティラには伊波地区の住民が避難し、潜伏しています。
CAVE OKINAWAの洞口付近の天井が少し黒っぽいのは、かま焚きをした際の煤(すす)が付いているからです。
攻撃が減る夜に、食事を作りに自宅に戻るを繰り返し、3ヶ月ほど暮らしていますが、昭和20年4月初旬、ついにアメリカ兵は、住民が身を寄せていたこの鍾乳洞を発見。
投降することは恥だと教え込まれていた沖縄県民は各地で集団自決をしていますが、山城政賢区長は、投降を嫌がる住民を説得し、たったひとり洞窟を出てアメリカ軍と交渉、ついに全員が投降して、ひとりも命を落とすことがありませんでした。
全員が助かり、さらに潜伏中に男女の赤ちゃんが誕生していることから、「命をしのいだ洞窟」と呼ばれ、赤ちゃんが生まれた縁起の良い場所であることから、「ぬち」(命)を「しぬじ」(しのいだ)「ガマ」(洞窟)と称されてきました。
その後、池原政安(いけはらせいあん)さんが沖縄を訪れる修学旅行生に平和教育を兼ねて洞窟案内を始めたのきっかけで、徐々に人が訪れるようになり、隠れた観光洞として知られるように。
それを次男の池原勇矢さん(山城政賢区長のひ孫)がバージョンアップ。
照明を完備し、名前もCAVE OKINAWAに変わって手軽に探勝できるようなり、今では注目の観光スポットにまで成長しています。
人気の理由は、SNSでの高評価。
洞内各所にフォトスポットが提示され、記念写真を取りやすいように工夫したところ、SNSで拡散され、多くの旅行者が訪れるようになったのです。
CAVE OKINAWAの縁起の良さのシンボルとなるのが洞内に下がる珍しい紅白の鍾乳石(赤と白の鍾乳石が向き合う紅白岩)。
そのほか、触れると黄金に恵まれるといわれる「黄金岩」などパワースポットが多数。
入口から出口まで通路は一本道で、洞窟の出口横には、ハートの形をした穴から光が入り、ハートロックと呼ばれる場所もあり、まさに撮影場所があふれているのです。
洞窟内部には、鍾乳洞としての解説だけでなく、「命の大切さを語り継ぐ」ことを目的にした沖縄戦についてを記した案内板もあるので、そちらにも目を通せば、旅がさらに思い出深いものになるでしょう。
CAVE OKINAWA | |
名称 | CAVE OKINAWA/けいぶ おきなわ |
所在地 | 沖縄県うるま市石川嘉手苅479-1 |
関連HP | CAVE OKINAWA公式ホームページ |
ドライブで | 沖縄自動車道石川ICから約3km、沖縄北ICから約6.5km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | CAVE OKINAWA TEL:098-964-4888/FAX:098-964-4890 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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