大阪港に臨む、天保山公園にある小さなピークが天保山。江戸時代に河川の浚渫の残土で築かれた人工の山ですが、国土地理院発行の地形図にも「天保山」の山名が記されるため、標高4.53mで三角点のある場所として「日本で一番に低い山」。二等三角点を中心に臨海公園「天保山公園」が整備され、公園の横からは天保山渡船も発着。
三角点のあるピークとしては「日本で一番に低い山」
江戸時代、大阪湾に流れ出る安治川の開削によって上流の流砂が河口に堆積し、北前船などの廻船の運航に支障が生じたので天保2年(1831年)から大坂町奉行の指揮で10万人を動員する「御救大浚」という浚渫工事が行なわれました。
これが天保山のルーツで天保2年の工事で生まれたために後に天保山と呼ばれるようになったもの。
ちなみに、安治川は貞享元年(1684年)、河村瑞賢によって九条島を開削してできた新川。
『摂津名所図会大成』にも「茶店貨食屋等あまたありて春秋とも賑わし」とあるのですでに幕末には行楽地だったことがわかります。
安政元年(1854年)、ロシア軍艦ディアナ号が大坂沖に姿を見せますが、大坂湾の防備のため砲台建設のために土砂が採取され、明治時代には7.2mという高さにまで削られています。
(天保山では明治元年、戊辰戦争のさなかに日本で最初の観艦式も行なわれ、明治天皇観鑑之所碑も立っています)
その後、昭和33年に天保山公園となりますが、高度成長時代に地下水のくみ上げなどで天保山一帯が地盤沈下し、現在では標高4.53mになっています。
ただし、天保山山頂の二等三角点は、天保山公園の最高所ではなく、さらに高い場所があります。
ちなみに、三角点でなく現地測地の標高点まで数えれば、日本で一番低い山は、2014年4月9日の国土地理院の調査で認定された日和山(宮城県仙台市)の3m。
北斎の浮世絵に見る 天保山
江戸時代の浚渫で生まれた土を盛った人工の山は、十間(約20m)ほどの高さがあり、出船、入船の目標となったため幕府は目印山と命名されています。
大坂湾を一望できるため、人気の景勝地として物見遊山の地となったのです。
葛飾北斎『諸国名橋奇覧』は、全国の橋を描いたシリーズですが、天保山にも昇平橋をはじめてとして6本の橋があったためノミネートされています。
出版されたのも天保2年(1831年)頃ということから、旬の話題だったのかもしれません。
天保山 | |
名称 | 天保山/てんぽうざん |
所在地 | 大阪府大阪市港区築港 |
関連HP | 大阪市公式ホームページ |
電車・バスで | 大阪メトロ大阪港駅から徒歩10分、JRゆめ咲線ユニバーサルシティ駅下車、シャトル船で10分 |
ドライブで | 阪神高速湾岸線・大阪港線天保山ICから約1.5km |
駐車場 | 天保山駐車場(1000台/有料) |
問い合わせ | 八幡屋公園事務所 TEL:06-6571-0552 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag