明治天皇観艦之所碑

明治天皇観艦之所碑

明治元年3月26日(1868年4月18日)、天保山沖の大阪湾で明治新政府軍の電流丸など6隻と、フランス海軍の1隻が参加して日本最初の観艦式(「軍艦叡覧」)が行なわれました。明治天皇臨席で行なわれた観覧式を記念して昭和4年に大阪市青年連合会が天保山公園に建立した記念碑が明治天皇観艦之所碑で、天保山渡船場近くに立っています。

日本最初の観艦式は明治元年、天保山沖で!

明治天皇観艦之所碑

観艦式(「軍艦叡覧」)に参加した軍艦は、明治新政府軍が徴発した旗艦電流丸(肥前藩/1856年、オランダで親水のコルベット艦)、万里丸(肥後藩)、千歳丸(久留米藩)、三邦丸(薩摩藩)、華陽丸(長州藩)、万年丸(安芸藩)の6隻と1864年の下関砲撃にも参加したフランス軍艦(木造機帆走コルベット)デュプレクス(corvette Dupleix/1861年進水)。

総指揮官は、後に日本国営電話事業の創始者となり、「逓信四天王」といわれた佐賀藩士・石井忠亮(いしいただあきら)。

明治天皇は、天保山から観覧。
聖護院宮嘉言親王(しょうごいんのみやよしことしんのう)の座乗する旗艦・電流丸を先頭に、単縦陣で沖へ進んだのち反転し、天保山沖で投錨し、電流丸は21発の祝砲を放っています。
参加した新政府軍の軍艦は、実は電流丸(肥前藩)と大砲4門を備えた万里丸(肥後藩)のみ。
ほかの4隻は商船でした。

この天保山で観艦式(「軍艦叡覧」)が行なわた時は、実は戊辰戦争の真っ最中。
江戸城もまだ旧幕府軍が保有していました。

駿府に進軍した明治新政府(西郷隆盛)は、明治元年3月6日(1868年3月29日)の軍議で江戸城総攻撃を3月15日と決定しています。
その後、勝海舟などの尽力で、明治元年4月11日(1868年5月3日)に江戸城は無血開城しています。
つまり、この日本最初の観艦式(「軍艦叡覧」)が行なわれた明治元年3月26日は、まさに江戸城総攻撃の回避がされる最中で、上野の山が戦場となった上野戦争の直前に当たります。
 

明治天皇観艦之所碑 DATA

名称 明治天皇観艦之所碑/めいじてんのうかんかんのところひ
所在地 大阪府大阪市港区築港3-2
電車・バスで 大阪メトロ大阪港駅から徒歩10分、JRゆめ咲線ユニバーサルシティ駅下車、シャトル船で10分
ドライブで 阪神高速湾岸線・大阪港線天保山ICから約1.5km
駐車場 天保山駐車場(1300台/有料)
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

天保山

2018.09.23

キャプテンライン

2018.09.22

天保山渡船場(築港側桟橋)

2018.09.22

 

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