大久保間歩

大久保間歩

石見銀山の最盛期を支えた主要坑道の一つが本谷地区の標高310mに位置する大久保間歩(おおくぼまぶ)。関ヶ原合戦の直後、石見銀山の利権を手にした徳川家康から初代の銀山奉行に任命された大久保長安が、槍を手にして馬に乗ったまま入ったという伝承がある間歩(まぶ=坑道)です。ガイド同行の限定ツアーなどで公開されています。

ヘルメットに懐中電灯で坑道に入る

大久保間歩

全長900mの坑道のうち、落盤などの恐れのない区間に落石防護柵を設けるなどの安全対策を施し、福石場(ふくいしば)までのガイド付きのツアー形式(完全予約制/人数制限あり)で一般公開。

限定ツアーなどで入坑すれば、坑内には江戸時代に手掘りされた縦横に走る坑道と、明治時代に機械掘りで坑道を拡幅した様子を見学できます。

坑道は高さが5mもあることから「大久保長安が、槍を手にして馬に乗ったまま入った」という伝説を生んだとも推測できます。

坑内を見学するには、このツアーに事前に予約する必要が。
石見銀山世界遺産センターを起点に2時間30分程度の観光コースで、徒歩での区間もあるので歩きやすい格好で参加を。
足元が悪い山道を歩ける服装(長袖、長ズボン)、履き慣れた靴、天候により雨具(傘、レインコート)などの持参を。
1回あたり20名(1日80名)の人数制限で先着順。
石見観光の大久保間歩予約センターで受付(TEL0854-84-0750/受付は平日9:00~17:00、土曜9:00~12:00)。

坑口から50mのところで、近くにある金生坑(きんせいこう)と連結する明治時代の竪坑(たてこう)と斜坑(しゃこう)があります。
また、坑口付近には、明治の機械掘りで再開発した際に敷設されたトロッコの軌道跡や削岩機(さくがんき)による採掘の跡が残されています。
大久保間歩には山口県・秋芳洞から飛来するユビナガコウモリなど4種のコウモリが生息していることも確認されています。

大久保間歩からさらに本谷沿いの山道を仙ノ山山頂方面に登ると、慶長年間に開発され劇的に銀の産出量を増やした釜屋間歩と岩盤遺構があります。

ちなみに大久保間歩は、本谷間歩群(大久保間歩・釜屋間歩・金生坑など)として世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産になっています。

大久保間歩
名称 大久保間歩/おおくぼまぶ
所在地 島根県大田市大森町本谷
関連HP 大久保間歩予約センター公式ホームページ
ドライブで 山陰自動車道(仁摩温泉津道路)仁摩・石見銀山ICから約9.6km
駐車場 原田駐車場(10台)、仙ノ山縦走コース入口
問い合わせ 大久保間歩予約センター TEL:0854-84-0750/FAX:0854-84-0751
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
仙ノ山(露頭掘り跡)

仙ノ山(露頭掘り跡)

戦国時代に発見された石見銀山ですが、その最初に発見され、坑道を用いず地表に露出した銀鉱石を削る露頭掘りで採石されたのが仙ノ山。島根県大田市の石銀(いしがね)地区にある仙ノ山(537m)の山頂付近には広大な露頭掘り跡があり、世界文化遺産「石見

釜屋間歩

釜屋間歩

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