回天神社

回天神社

茨城県水戸市にある回天神社(かいてんじんじゃ)は、幕末の動乱期に安政の大獄、桜田門外の変、東禅寺事件、坂下門外の変、天狗党の乱、会津戦争などで没した水戸藩士1785名を祀る神社。社名は藤田東湖の著作『回天詩史』に由来するもの。明治3年、天狗党の乱で落命した志士の墓が築かれたのが神社創始のきっかけです。

回天とは、天下の形勢を変えること

昭和44年、明治維新百年を記念して創建した神社。
整然と並ぶ墓石371基は、幕府軍との戦いで没した水戸藩士の墓で大正3年に建てられたもの。
秋季大祭は10月14日に行なわれていますが、この日は大政奉還の日です。

文政7年(1824年)、水戸藩内の大津村(現・北茨城市大津町)で、イギリスの捕鯨船員12人が水や新鮮な野菜を求め上陸するという大津浜事件が勃発。
この事件などをきっかけに幕府は翌年、異国船打払令を出していますが、藩校・弘道館を中心とした後期水戸学(こうきみとがく)の藤田幽谷(ふじたゆうこく)らは、大津浜事件での対応を弱腰と捉え、水戸藩では攘夷思想(外敵を斥けようとする思想)が広まっていきます。
第9代藩主の徳川斉昭(とくがわ なりあき)は、藩校・弘道館を設立し、腹心の水戸藩士・藤田東湖(ふじたとうこ)らは、『日本書紀』、『古事記』などの神話をもとに、天皇を尊び、外国を排斥する尊皇攘夷(そんのうじょうい)思想を導きます。
こうした水戸藩の尊皇攘夷思想が、明治維新の理論的な背景になっているのです。

日米修好通商条約に調印に反対する水戸藩士らを斬罪にした安政の大獄に始まり、明治維新への大動乱期に多くの水戸藩士が命を落としているのです。
神社の社名の由来となる『回天詩史』は藤田東湖の自叙伝的詩文(漢詩)で、回天とは、天を回転させる、つまりは天下の形勢を変えるという意。

名称 回天神社/かいてんじんじゃ
所在地 茨城県水戸市松本町13-33
関連HP 水戸観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR水戸駅からバスで15分、保和苑入口下車
ドライブで 常磐自動車道水戸ICから約8km
駐車場 あり/無料
問い合わせ TEL:029-226-9028
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

『桜田門外の変』を現場検証しよう!

徳川幕府の終焉の時代と、広く世の中が認識した幕末の大事件が『桜田門外の変』。江戸城西の丸入口、外桜田門で、安政7年3月3日(1860年3月24日)、水戸藩からの脱藩者らが、時の大老・井伊直弼(いいなおすけ)を殺害するという事件が起こります。

 

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