ロケット特攻機「桜花」の出撃地、下滝田基地跡を見学!|南房総市

本土決戦最後の切札として、海軍が全力を挙げて開発したロケット特攻機「桜花」四三乙型。
その秘密発射基地が造られたのが現在の南房総市下滝田。
ここに下滝田基地があったのです(TOPの画像は5式噴進射出装置=射出用カタパルトの跡/左右の穴を使って枕木を設置、その上に滑走用のレールを2本設置)。

昭和19年8月、「桜花」の研究試作がスタート

「桜花」は、昭和19年8月16日に研究試作が始まった航空兵器。
全備重量の約80パーセントが頭部に装着する爆弾、航続距離は片道航行に多少の余裕を持たせる程度という、非人道的な特効兵器でした。

この「桜花」は、自力で飛ぶことができないので一式陸上攻撃機に搭載して、空中で母機からの切り離し後に固体燃料ロケットを作動させて加速、さらに滑空して敵艦に体当たりするという発想でした。
ところが、実際には「桜花」を搭載することで、一式陸上攻撃機は機動力が失われ、第1回目の桜花攻撃では、アメリカ艦隊の遥か手前で、アメリカ軍戦闘機に母機の一式陸攻が全滅させられ、桜花を射出することもできませんでした。米軍は桜花を吊り下げる一式陸上攻撃機をたやすく撃墜できたので、「七面鳥狩り」と形容したほどだとか。

桜花を分析した資料
↑当時のアメリカ軍の桜花を分析した資料。「BAKA」(正しくはBAKA BOMB)というコードネームが付けられていました

首都防備の最終兵器がカタパルト発進の「桜花」

それでも軍部は諦めず、東京湾に近い千葉の山中に秘密基地をつくり、陸上から射出機(しゃしゅつき)を使ったカタパルト発進を試みようとしたのです。
エンジンは日本で初めて実用段階に達したターボジェットエンジン「ネ20」(ネ=燃焼噴射推進器)を搭載。
横須賀鎮守府管轄では、昭和20年8月を目標に、静岡県十国峠・竹ノ沢に8基、房総半島南部(安房郡三芳村)に12基、神奈川県の武山(横須賀第二海兵団=武山海兵団/現・陸上自衛隊武山駐屯地)に1基の設置工事が行なわれていました。
南房総・三芳村(現・南房総市)の秘密特攻基地は上滝田・下滝田・吉沢・平群の4ヶ所に分け、12基のカタパルトを建設する計画でした。
1基のカタパルトには5機~10機の「桜花」が配備され、全体で50~60機が基地に配備される予定でした。
とくに上滝田・下滝田の基地は昭和20年8月下旬の完成を目標に、教育部隊の練習生、予科練の少年、地域の民間人の勤労動員、そして朝鮮人の強制労働による昼夜の突貫工事で完成間近になっていました。

「敵艦船本土近傍に来襲せば射出機により射出し、敵艦を求めてこれに突入し撃沈せんとするものであった。謂わば人間砲弾を発射する要塞砲に相当するもの」(『発着兵器 基地兵器 航空兵器 加速用火薬ロケット 桜花射出機(5式噴進射出装置)』(防衛研究所図書館蔵)。

射出実験は昭和20年8月に神奈川県の武山で成功してはいましたが、実際には、一度も実戦に使われることがなく終戦に。
その跡地は、のどかな田園風景に戻っています。
畑のなかにコンクリート製の滑走路らしき構造物があるので、ここが下滝田基地だったことがわかる程度です。
それでもコンクリートの伸びる方角の先に東京湾があることを考えると、すこし背筋がゾッとし、改めて平和の大切さが思い起こされるのです。

「桜花」四三乙型
↑房総半島に上陸、占領したアメリカ軍が押収した「桜花」四三乙型

下滝田基地跡
下滝田基地跡
名称下滝田基地跡(ロケット特攻機「桜花」出撃地)/しもたきだきちあと(ろけっととっかおき「おうか」しゅつげちち
住所南房総市下滝田
駐車場なし
問い合わせ南房総市観光協会 TEL:0470-28-5307/FAX:0470-28-5309
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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