日本三大料亭とは!?

料亭というと大阪の吉兆、京都の中村楼(創業は室町時代とも)、菊乃井、たん熊北店などを思い浮かべる人がいますが、日本三大料亭に数えられるのは、金田中(かねたなか)の最高峰「新ばし金田中」、築地の「割烹新喜楽」、そして大阪・高麗橋(こうらいばし)の「吉兆本店」。しかし「詠み人知らず」であくまで通説という感じです。

新ばし金田中|東京

所在地:東京都中央区銀座7-18-17
創業:包丁一本の板前から身を興した岡副鉄雄(おかぞえてつお=後の新橋演舞場の社長)が、新橋の花街で創業した金田中(「田中屋」という店の仲居頭・金子とらがのれん分けを許され大正時代に創業)を昭和20年に譲り受けたもの
内容:政財界や文化人にも愛されてきた日本を代表する料亭で、政財界では「金田中に行けるようになったら一人前」と言い継がれてきました
備考:金田中グループは、本店である「新ばし 金田中」のほか「金田中 庵」「銀座 岡半」「茶洒 金田中」を運営
割烹新喜楽とともに「日本二大料理屋」とも

割烹新喜楽|東京

所在地:東京都中央区築地4-6-7
創業:明治8年、伊藤きんが日本橋茅場町に「喜楽」を創業したのが始まりで、明治31年、「築地梁山泊」と称された大隈重信邸跡(旗本・戸川安宅の旧邸)に移転し、「新喜楽」に(往時の建物は大正12年の関東大震災で焼失)
内容:建物は建築家・吉田五十八が設計、改修を重ねた数寄屋建築で、美しい庭には伊藤博文から贈られた漢詩が刻み込まれた石碑が配されています
初志として「支店を出さない」、「宣伝をしない」、「毎日が開店日(初心忘るべからず)」、「無言のおもてなし」を掲げ、歴史的にも伊藤博文、五島慶太(東急創始者)など政財界や文化人にも愛されてきた名店
備考:芥川賞・直木賞の選考会の会場にもなっています
金田中とともに、「日本二大料理屋」とも

吉兆本店(高麗橋吉兆)|大阪

所在地:大阪府大阪市中央区高麗橋2-6-7
創業:神戸の料理屋「中現長」の息子・湯木貞一が、昭和5年11月21日、大阪市西区新町に「御鯛茶處吉兆」(注/吉の字、正しくは土に口です)を創業したのが始まり
内容:船場の旦那衆などの支持を受け発展、戦災で店を失いますが、昭和24年、「ビール王」、「ホテル王」と呼ばれた当時・朝日麦酒社長だった山本為三郎(やまもとためさぶろう)の斡旋で、高麗橋本店を開店
茶懐石の影響を強く受けた懐石料理は関西の茶人・財界人の圧倒的な支持を受けています
備考:吉兆グループと呼ばれていますが、平成3年に創業者・湯木貞一がのれん分けの形で独立させ、長男が本吉兆(吉兆本店)、長女の婿が東京吉兆、次女の婿が京都吉兆、三女の婿が船場吉兆、四女の婿が神戸吉兆を継承(船場吉兆は後に不祥事で廃業)
松花堂弁当は、湯木貞一が考案した

日本三大料亭とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ