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川越城・富士見櫓跡

川越城・富士見櫓跡

埼玉県川越市にある川越城・三の丸跡(八幡曲輪跡)に建つ県立川越高校の校庭南にあるのが、川越城・富士見櫓跡。こんもりとした鎮守の森のように見える一画に建っていたのが、富士山を眺望できたことが名の由来という富士見櫓。代用天守として機能した三重櫓が建っていた場所です。

川越城の代用天守、富士見櫓の跡

本丸の南東の隅に位置し、こんもりと木々が茂るのは、土塁の上に浅間神社と御嶽神社が鎮座するから。
天守のなかった川越城には、二の丸東北の隅に二重の菱櫓(現・川越武道館)、本丸北西に虎櫓(虎=東北)、そして富士見櫓がそびえていましたが、もっとも高台にあり、3重だった富士見櫓が代用天守として機能したのです。

幕末の慶応2年(1866年)の記録によれば、高さ8間3尺(15m)、横8間(14m)で、現在のビルでいえば4階〜5階建てくらいの大きさだったと推測できます。
富士見櫓跡の西には馬場があり、その北側に本丸御殿がありました。

川越城・富士見櫓跡
名称 川越城・富士見櫓跡/かわごえじょう・ふじみやぐらあと
所在地 埼玉県川越市郭町2-15
電車・バスで 東武東上線、JR川越線川越駅、または西武新宿線本川越駅から東武バスウエスト(蔵のまち経由)で札の辻下車、徒歩10分
ドライブで 関越自動車道川越ICから約5km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 川越城 TEL:049-224-6015
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

川越城本丸御殿

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三芳野神社

埼玉県川越市、川越城本丸御殿の東に鎮座する古社が、三芳野神社(みよしのじんじゃ)。本丸御殿とともに、藩政時代から変わらない位置関係で、川越城の本丸内にあった、川越藩、そして3代将軍・徳川家光ゆかりの神社です。また童謡『通りゃんせ』発祥の地と

川越城

扇谷上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗する足利氏の本城として1457(長禄元)年、上杉持朝(うえすぎもちとも)が太田道真、太田道灌父子に命じて築城した平山城。江戸時代には川越藩の藩庁となっています。明治6年の廃城令で建物は破却されましたが本丸

川越城・大手門跡

埼玉県川越市にある川越藩の藩庁だった城が、川越城。その大手口(玄関口)となる大手門の遺構は残されていませんが、川越市役所前に太田道灌の像とともに、川越城大手門跡の石碑が立っています。大手門は城の南に、南大手門(南門)もあったため、西大手門と

 

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