川越城本丸御殿

川越城本丸御殿

関東七名城、日本100名城に選定される川越城。現存する川越城本丸御殿は、二の丸にあった御殿が幕末の弘化3年(1846年) に焼失したため、嘉永元年(1848年)、松平斉典(まつだいら なりつね)が再建したもので、その一部として大玄関・大広間・家老詰所が残されています。完全ではないにしろ、本丸御殿の貴重な遺構。

17万石を誇った川越城唯一の遺構

川越城本丸御殿

注目は、入母屋造り、豪壮な唐破風(からはふ)と霧除けのついた間口19間・奥行5間の大玄関・車寄せ。
36畳の大広間など現存する建坪は165坪(往時は16棟、1025坪)。
明治維新後の廃城令で、本丸御殿の大部分も破却され、玄関・大広間部分は入間県県庁、入間郡公会所、川越武道奨励会修練道場、さらに戦後は川越市立第二中学校(現・初雁中学校)の校舎としても使われていました。
家老詰所も民家に移築されたものを戻したため、往時の場所にはありません。

本丸御殿の遺構が現存するのは川越城の他には、高知城だけです。

名称 川越城本丸御殿/かわごえじょうほんまるごてん
所在地 埼玉県川越市郭町2-13-1
関連HP 川越市公式ホームページ
電車・バスで 東武東上線、JR川越線川越駅、または西武新宿線本川越駅から東武バスウエスト(蔵のまち経由)で札の辻下車、徒歩10分
ドライブで 関越自動車道川越ICから約5km
駐車場 50台/無料
問い合わせ TEL:049-224-6015
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

川越城

扇谷上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗する足利氏の本城として1457(長禄元)年、上杉持朝(うえすぎもちとも)が太田道真、太田道灌父子に命じて築城した平山城。江戸時代には川越藩の藩庁となっています。明治6年の廃城令で建物は破却されましたが本丸

高知城・懐徳館(本丸御殿)

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関東七名城

【旅の百科事典】 関東七名城

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