わらべ唄発祥の所碑

わらべ唄発祥の所碑

埼玉県川越市、川越城本丸御殿の東に鎮座する三芳野神社境内(末社大黒社近く)にあるのが、わらべ唄発祥の所碑。実は三芳野神社(藩政時代は三芳野天神)の参道が、童謡『通りゃんせ』に歌われる「天神さまの細道」といわれることから、わらべ唄発祥の所碑が立っています。

『通りゃんせ』は、川越城本丸の三芳野神社が舞台!?

川越城・城内図

三芳野神社は川越城(河越城)築城以前からの天神社(祭神・菅原道真)ですが、太田道真・太田道灌父子による川越城築城の際に、城内の天神曲輪に鎮座(三芳野天神と仙波日枝神社を城の鎮守に)。
さらに藩政時代となって、徳川家光もしばしば参詣したと伝えられ、寛永元年(1624年)、川越藩主・酒井忠利(さかいただとし)の子、酒井忠勝(さかいただかつ)が3代将軍・徳川家光の命を受けて本丸に三芳野天神の社殿を造営しています。
将軍が川越に来るのは、鷹狩り(たかがり)目的でもあったのです。

川越城内にあり、将軍家と関わりの深い神社のため、一般の参詣はできませんでした。
地元の信仰が篤いことから明暦2年(1656年)、川越城の拡張に際し、江戸城二の丸にあった東照宮宮を田郭門外に移築し、三芳野天神の外宮を造営、一般の参拝を許しています。
それでも城内ということで、時間を区切っての参詣が許されたのです。

南門(南大手門/現・川越市立川越第一小学校の南東角)で城内に入り、富士見櫓(天守お代用櫓、土塁のみ現存)を左前方に見ながら進むと田郭門です。
本丸内の三芳野天神へは、さらに天神門(現在、三芳野神社境内のブランコなどのある場所)で本丸に入り、左に空濠を見て境内に入って参詣しましたが、本丸内ということもあって一般庶民には許される場所ではありませんでした。

田郭門外の外宮からの帰路は、警護の武士から厳しく詮議されたため、「行きはよいよい、帰りは怖い」という歌詞が生まれたのだとか。

田郭門への道が、「天神さまの細道」ということになりますが、大軍の進軍を阻むという城郭設計のため、現在の車道よりも幅員が狭かったと推測できます。

『通りゃんせ』発祥の地とPRする地は、他に山角天神社(神奈川県小田原市)、菅原神社(小田原市国府津)があり、いずれの場所にも『通りゃんせ』発祥の地碑が立っています。

『通りゃんせ』歌詞

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

わらべ唄発祥の所碑
名称 わらべ唄発祥の所碑/わらべうたはっしょうのところひ
所在地 埼玉県川越市郭町2-25-11
関連HP 川越市公式ホームページ
電車・バスで 東武東上線、JR川越線川越駅、または西武新宿線本川越駅から東武バスウエスト(蔵のまち経由)で札の辻下車、、徒歩8分
ドライブで 関越自動車道川越ICから約7km
駐車場 初雁公園駐車場を利用
問い合わせ 川越駅観光案内所 TEL:049-222-5556
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
川越城本丸御殿

川越城本丸御殿

関東七名城、日本100名城に選定される川越城。現存する川越城本丸御殿は、二の丸にあった御殿が幕末の弘化3年(1846年) に焼失したため、嘉永元年(1848年)、松平斉典(まつだいら なりつね)が再建したもので、その一部として大玄関・大広間

川越城

扇谷上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗する足利氏の本城として1457(長禄元)年、上杉持朝(うえすぎもちとも)が太田道真、太田道灌父子に命じて築城した平山城。江戸時代には川越藩の藩庁となっています。明治6年の廃城令で建物は破却されましたが本丸

三芳野神社

三芳野神社

埼玉県川越市、川越城本丸御殿の東に鎮座する古社が、三芳野神社(みよしのじんじゃ)。本丸御殿とともに、藩政時代から変わらない位置関係で、川越城の本丸内にあった、川越藩、そして3代将軍・徳川家光ゆかりの神社です。また童謡『通りゃんせ』発祥の地と

 

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