川越城・大手門跡

川越城・大手門跡

埼玉県川越市にある川越藩の藩庁だった城が、川越城。その大手口(玄関口)となる大手門の遺構は残されていませんが、川越市役所前に太田道灌の像とともに、川越城大手門跡の石碑が立っています。大手門は城の南に、南大手門(南門)もあったため、西大手門とも呼ばれていました。

川越城の大手門は、現在の川越市役所の場所に!

川越城・大手門跡
太田道灌像

三の丸の西、侍屋敷、作事役所などが並んでいたのが外曲輪。
外曲輪の西端、本町(ほんまち=西大手門から札の辻に至る大通り地区)へ出る馬出の内側にあるのが大手門(西大手門)です。
藩政時代には大手門を入ると、両側に侍屋敷が並んでいました。

太田道灌の像が立っていますが、川越城の近世的な縄張りは、藩政時代になってからで、近世的な城郭として拡張整備され、城下町も整ったのは寛永16年(1639年)に藩主となった、「知恵伊豆」と称された松平信綱(まつだいらのぶつな)の時代です。
つまり、寛永15年(1638年)に大火があり、その後の城郭整備で、西側に曲輪を拡張し、富士見櫓など3つの櫓や13の門を備えた近世的な城郭へと拡張したのです。

つまり、太田道灌の時代、中世の川越城の大手門はここではありませんが、太田道灌を大河ドラマの主人公にを目標にする川越市としては、市役所にそのシンボルとして太田道灌を配置したのです。

川越城・絵図
川越空撮photoMAP
川越城・大手門跡
開催日時 川越城関連スポットと相互リンクをお願いします
名称 川越城・大手門跡/かわごえじょう・おおてもんあと
所在地 埼玉県川越市元町1丁目
電車・バスで 東武東上線、JR川越線川越駅、または西武新宿線本川越駅から東武バスウエスト(蔵のまち経由)で札の辻下車、徒歩4分
ドライブで 関越自動車道川越ICから約5km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 川越駅観光案内所 TEL:049-222-5556
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

川越城

扇谷上杉氏が古河公方(足利氏)に対抗する足利氏の本城として1457(長禄元)年、上杉持朝(うえすぎもちとも)が太田道真、太田道灌父子に命じて築城した平山城。江戸時代には川越藩の藩庁となっています。明治6年の廃城令で建物は破却されましたが本丸

川越城本丸御殿

川越城本丸御殿

関東七名城、日本100名城に選定される川越城。現存する川越城本丸御殿は、二の丸にあった御殿が幕末の弘化3年(1846年) に焼失したため、嘉永元年(1848年)、松平斉典(まつだいら なりつね)が再建したもので、その一部として大玄関・大広間

川越城・富士見櫓跡

川越城・富士見櫓跡

埼玉県川越市にある川越城・三の丸跡(八幡曲輪跡)に建つ県立川越高校の校庭南にあるのが、川越城・富士見櫓跡。こんもりとした鎮守の森のように見える一画に建っていたのが、富士山を眺望できたことが名の由来という富士見櫓。代用天守として機能した三重櫓

三芳野神社

三芳野神社

埼玉県川越市、川越城本丸御殿の東に鎮座する古社が、三芳野神社(みよしのじんじゃ)。本丸御殿とともに、藩政時代から変わらない位置関係で、川越城の本丸内にあった、川越藩、そして3代将軍・徳川家光ゆかりの神社です。また童謡『通りゃんせ』発祥の地と

 

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