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見沼自然公園

見沼自然公園

埼玉県さいたま市緑区、さぎ山記念公園を拡張して、平成6年3月に開設された公園が、見沼自然公園。その名の通り、見沼の自然を満喫できる公園で、広大な芝生広場、修景池、自然観察園と野鳥池などが配されています。さぎ山記念公園との間には見沼代用水東縁が流れています。

公園内には自然観察園、井沢弥惣兵衛の像も

埼玉スタジアム2002の西、1.5kmほどのところにある面積10.9haの自然公園。
見沼代用水東縁と加田屋川に挟まれたエリアで、かつては見沼だった場所。

見沼自体は縄文海進時(温暖な縄文時代で海面が今より数メートル高かった時代)、奥東京湾だった場所で、海の後退とともに弥生時代以降に沼地となって残された場所。
寛永6年(1629年)を、関東郡代・伊奈忠治が八丁堤を建設して巨大な見沼溜井を築き、農業用水の確保をしましたが、水害に悩む村民が溜井廃止を訴え出ることもあって、8代将軍・徳川吉宗は、見沼溜井を新田にしようと考えたのです。

見沼自然公園内には井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)の像が立っていますが、井沢弥惣兵衛は、紀伊国那賀郡溝ノ口村(現・和歌山県海南市野上新)の豪農で、紀州藩の勘定方に就任し、紀州藩主・徳川吉宗で、紀の川一帯の新田開発を行なった人物。
徳川吉宗が将軍となったことを受け、八丁堤を切り開いて見沼溜井の水を排出、享保13年(1728年)には利根川から取水して見沼代用水を築き、広大な新田(見沼田んぼ)を生み出したのです。

昭和9年、当時の東京市は、東京の水不足を受けて村山貯水池(多摩湖)・山口貯水池(狭山湖)に続く、第三の貯水池の建設場所を見沼田んぼ一帯に巨大な貯水池をつくる計画を発表しますが、地元の反対で断念、小河内ダム(奥多摩湖)の建設に取り掛かったのです。

見沼自然公園を訪れるなら、井沢弥惣兵衛の像と、公園の縁(へり)を流れる見沼代用水東縁には注目を。

見沼代用水を開削し、見沼田んぼを生み出した井沢弥惣兵衛の像
見沼自然公園
名称 見沼自然公園/みぬましぜんこうえん
所在地 埼玉県さいたま市緑区大字南部領辻450-1
関連HP さいたま市公園緑地協会公式ホームページ
電車・バスで JR大宮駅・JR東浦和駅・JR浦和駅から国際興業バスで締切橋下車、徒歩5分
ドライブで 東北自動車道浦和ICから約5km、岩槻ICから約6km
駐車場 198台/無料
問い合わせ さぎ山記念公園 TEL:048-878-3656
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

さぎ山記念公園

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