平林寺

平林寺

埼玉県新座市野火止3丁目にある臨済宗妙心寺派の名刹が、平林寺(へいりんじ)。武蔵野の面影を残す境内林は、国の天然記念物で、春の新緑、秋の紅葉は絵のよう。総門と山門の間には野火止用水が流れ、武蔵野の面影を色濃く残しています。禅修行の専門道場でもあるため、マナーを守って入山を。

紅葉の見頃は、11月中旬~12月上旬

南北朝時代に石室善玖(せきしつぜんきゅう)が渋江郷金重村(現・さいたま市岩槻区平林寺)に開山したのが始まり。

1663年(寛文3年)、川越藩松平家2代藩主・松平輝綱(まつだいらてるつな)が、父である初代藩主・松平信綱(まつだいらのぶつな=玉川上水、野火止用水の開削で有名)の遺志を継いで現寺地に移転させています。

武蔵野の面影を残す境内林は、国の天然記念物で、春の新緑、秋の紅葉は絵のよう。
茅葺き(かやぶき)の総門、中門、岩槻から移築されたという山門、仏殿は、いずれも埼玉県の有形文化財に指定。

大名墓の川越藩主・松平信綱と妻の墓も境内にあり、埼玉県の史跡になっています。
玉川上水が難工事となった際に、補佐役として活躍した松平信綱の家臣、安松金右衛門(やすまつきんえもん)と小畠助左衛門(おばたすけざえもん)の墓もあります。
玉川上水開削の功績で、関東ローム層という水に恵まれなかった川越藩内の野火止にも用水を分水することが許され、安松金右衛門が野火止用水を開削しています。

平林寺専門道場という臨済宗妙心寺派における関東随一の僧堂で、境内は凛とした空気に包まれています。

観光寺院ではなく、禅修行の専門道場でもあるため、境内を散策、参詣の際には修行の妨げとならないよう話し声、携帯電話、足音などに留意を(マナーを守って入山を)。
境内風致の保持のため、写真・動画撮影、写生目的の入山も不可です(一脚三脚の使用禁止)。
例年の紅葉の見頃は、11月中旬~12月上旬。

川越藩主・松平信綱が考えた短冊型の地割と景観が現存!

平林寺

江戸時代の前期(3代将軍・徳川家光、4代・徳川家綱の治世)、江戸の住民が急増し、江戸の食料増産と、江戸への食料供給が緊急の課題となりました。
川越藩主の松平信綱は、藩主として新河岸川の舟運、川越街道の整備を行なうなど藩政の基礎を固めるとともに、老中(後に老中首座)としてキリシタン取締りの強化や武家諸法度の改正など、幕藩体制を完成させていますが、玉川上水、野火止用水も開削し、武蔵野台地の新田開発に挑戦しています。

武蔵野台地の街道沿いに用水と屋敷、その裏手に畑、奥に雑木林を配する短冊型の地割という計画的な開発整備を行ない、開発計画の最終段階に、自身の菩提寺となる平林寺を岩槻から移すという考えでした。
平林寺の移転は存命中には実現できませんでしたが、その子・松平輝綱によって達成されています。

野火止用水周辺の景観は、実は松平信綱の緻密な計画によって生まれたものですが、近郊の都市化に伴い、雑木林の大半が消失、貴重な短冊形地割の畑や屋敷林が数多く残されるのが、平林寺一帯なのです。

新座市では、野火止用水(埼玉県の史跡)と、平林寺(武蔵野の面影を残す境内林が現存)を始めとする周辺の景観を次世代に継承していくことを目的として、「野火止用水・平林寺の文化的景観保存計画」を策定。
国の重要文化的景観選定を目指した取組みが行なわれています。

平林寺
名称 平林寺/へいりんじ
所在地 埼玉県新座市野火止3-1-1
関連HP 平林寺公式ホームページ
電車・バスで 東武鉄道志木駅から西武バスひばりヶ丘駅行きで14分、平林寺下車、徒歩3分。または、西武鉄道東久留米駅から西武バス朝霞台駅行きで14分、平林寺下車、徒歩3分
ドライブで 関越自動車道所沢ICから約6km、練馬ICから約9km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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