日本三名橋に関しては諸説あり定かでありません。一般的に東京都中央区の日本橋、山口県岩国市の錦帯橋、そして長崎県長崎市の眼鏡橋と江戸時代に架橋された3つの橋が三名橋とされています。ただし、選者も定かでありません。日本橋の代わりに二重橋(東京都)とする説もありますが、二重橋は明治以降なので時代が合わないことに。
日本三古橋と日本三名橋は意味が違う!
瀬田の唐橋(滋賀県大津市)を日本三名橋とする説もありますが、こちらは「日本三古橋」との混同の可能性が大。
瀬田の唐橋(勢多次郎)、宇治橋(宇治三郎)、に山崎橋(やまさきばし=山崎太郎)を加えて「日本三古橋」なのですが、山崎橋(現在の京都府乙訓郡大山崎町〜八幡市橋本間)は江戸時代以前に失われ、その後架橋されていません。
江戸時代に架橋された3つの名橋が日本三名橋と考えれば、日本橋、錦帯橋、眼鏡橋は納得がいきます。
日本橋/東京都中央区
慶長8年3月3日(1603年4月14日)、徳川家康による全国の街道整備計画で初代の日本橋が架橋されたという歴史ある橋。
慶長9年(1604年)には五街道の基点になっていますが、現在も日本国道路元標が設置されています。
現存する橋は明治44年4月3日架橋の19代目で、国の重要文化財。
錦帯橋/山口県岩国市
延宝元年(1673年)、岩国藩主・吉川広嘉(きっかわひろよし)が岩国城と城下町を結ぶため、錦川に架橋した木造の5連アーチ橋。
日本三奇橋にも数えられているので、ダブルで選定。
江戸時代に架橋の橋は、昭和25年月14日、折からのキジア台風で流出。
現在の橋はその後の復元です。
眼鏡橋/長崎県長崎市
寛永11年(1634年)、中国から来日して興福寺の2代目住職となった黙子如定(もくすにょじょう)が架橋した、日本初の石造アーチ橋。
中国から石工を呼び寄せて架橋したもので、その後の水害でも流出を免れ、国の重要文化財に指定されています。
日本三名橋とは!? | |
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