滋賀県大津市、比叡山延暦寺と日吉大社の門前町として栄えた坂本は、延暦寺創建の平安時代から、山側の上坂本が門前町、湖畔の下坂本が琵琶湖舟運の荷揚げ港として発展。約50ヶ寺の「里坊」と、穴太積み(あのうづみ)の石垣が独特の景観を作り出し、門前町全体が大津市坂本伝統的建造物群保存地区に選定されています。
中世には近江国最大の都市として繁栄した坂本を歩く
坂本とは文字通り比叡山の坂の本の意で、天台宗の開祖・伝教大師(最澄)の生誕の地。
生誕の地としては諸説ありますが、延暦寺西塔の総里坊格の寺だった生源寺だというのが定説で、産湯の井戸と称される井戸も現存しています。
中世には近江国最大の都市として繁栄し、さらに天台宗の門徒も一大勢力として君臨しましたが、元亀2年(1571年)に行なわれた織田信長の比叡山焼き討ちで、門前町にも火が放たれ、焼き尽くされています。
現在の家並みなどは、近世以降に延暦寺と密接な関係を保って形成された里坊、その風情ある庭園と風格ある門、そして加工しない自然石を巧みに組み合わせる穴太衆(あのうしゅう)が積んだ穴太積みの石垣です。
天正年間(1573年~1591々)には、豊臣秀吉が琵琶湖の湖上権を掌握し、大津七浦、坂本、堅田、木浜で大津城主の公用を担う「大津百艘船」を組織し、江戸時代には坂本湊は琵琶湖舟運の拠点として繁栄しています。
坂本の穴太地区に居住した石垣積みの達人たちが穴太衆で、古墳の築造などを行なっていた石工集団の末裔だともいわれ、中世に寺院建築の土台や石垣を築き、戦国時代に安土城の石垣を施工して評価を高め、各地の城郭の石垣建設を担っています。
伝統的建造物保存地区(重伝建)は、里坊群・門前町として28.7haを選定(坂本1丁目、坂本4丁目、坂本5丁目、および坂本6丁目の各一部)。
「里坊」とは比叡山で修業を積んだ僧侶が里山に建てた隠居寺のこと。
里坊は穴太積み石垣が続く道路に面して門を構え、穴太積みの石垣と塀もしくは生垣を巡らせ、奥に本堂などの建物と広々とした空間と緑を演出する庭園を配置した構造で、その歴史的風致を今に伝えています。
建築物として現存するのは、江戸時代中期から明治・大正・昭和(昭和20年以前)にかけて建てられたものが多く、町家の町並みでは味わえない奥行きのある環境が特徴。
公開施設の旧竹林院も、もともとは里坊であったものが、別荘として整備されたもので、庭園は国の名勝。
旧竹林院、滋賀院門跡(滋賀院庭園を宸殿の縁側から鑑賞可能)、日吉大社、日吉東照宮、明智光秀再興の西教寺、生源寺など散策に絶好のエリアとなっています。
滋賀県内の重要伝統的建造物群保存地区は、大津市坂本伝統的建造物群保存地区(里坊群・門前町)のほか、彦根市河原町芹町地区(商家町)、近江八幡市八幡(商家町)、東近江市五個荘金堂(農村集落)の合計4ヶ所です。
大津市坂本伝統的建造物群保存地区 | |
名称 | 大津市坂本伝統的建造物群保存地区/おおつしさかもとでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく |
所在地 | 滋賀県大津市坂本1丁目、4丁目、5丁目、6丁目 |
電車・バスで | JR比叡山坂本駅から徒歩3分 |
ドライブで | 名神高速道路京都東ICから約11km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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