西教寺

比叡山の南東山麓、大津市坂本に広い寺域を持つ天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山で、聖徳太子が創建したと伝えられる古刹が西教寺。比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口に位置し、1571(元亀2)年、織田信長の比叡山焼き討ちにより災禍を受け、明智光秀により再興されたと伝えられています。

絶えることなく念仏が唱えられてきた坂本の名刹

創建については定かでありませんが、平安時代に延暦寺中興の祖・良源(りょうげん=元三大師)が、続いて延暦寺・横川(よかわ)で『往生要集』を編纂した源信(げんしん)が庵を結んで修行道場としたと伝えられています。

1325(正中2)年、後醍醐天皇の帰依を受けた円観が西教寺を再興。
さらに室町時代末期に真盛が入寺し、戒律の厳守と称名念仏(しょうみょうねんぶつ)の励行を唱えて西教寺は戒律(かいりつ)・念仏(ねんぶつ)の道場となりました。

その後、織田信長の比叡山焼き討ちで焼失していますが、坂本城を築いた明智光秀の助力などもあって総門や庫裏などを再建しています。

現存する本堂は1739(元文4)年、紀州徳川家から寄進されたもので、国の重要文化財(重要文化財の阿弥陀如来像を安置)。
1598(慶長3)年築の伏見城の遺構を移した客殿も重要文化財となっています。

小堀遠州作と伝わる客殿庭園、書院庭園、枯山水、平成元年築庭の裏書院庭園と4つの庭園があります。
大晦日には除夜の鐘を撞くことができるほか、1月1日〜3日まで、幸運の鐘を撞くことが可能。

明智光秀と西教寺の関係は!?
西教寺の境内には明智光秀一族の墓も残されています。
6月14日には『明智光秀公御祥当法要』、『明智光秀公顕彰会』が執り行なわれています(明智光秀は天正10年6月13日深夜に没、明智秀満は坂本城にて6月14日自刃)。
明智光秀が築いた坂本城は、琵琶湖の畔(現・大津市下阪本3丁目の坂本城址公園)にあり、琵琶湖の海上交通に睨みを利かしていました。
坂本は比叡山の門前町だけでなく、山城国(京)との重要な交易の町でもあったのです。
比叡山焼き討ち後、1571(元亀2)年に築城が開始されたことを考えると、坂本城は比叡山監視の役割も担い、西教寺はその前線基地だったのかもしれません。

明智光秀とその一族の墓
明智光秀
 

西教寺 DATA

名称 西教寺/さいきょうじ
所在地 滋賀県大津市坂本5-13-1
公式HP 西教寺
電車・バスで 京阪石山坂本線坂本駅から江若バス西教寺行きで15分、西教寺下車、徒歩25分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約12.5km
駐車場 90台/無料
問い合わせ TEL:077-578-0013/FAX:077-578-3418
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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