安土城の主郭部分(三の丸、二の丸、本丸)の入口、黒鉄門(くろがねもん)へと続く大手側(玄関側)の登城ルートが大手道。発掘調査前の大手道は、安政時代に拡張した摠見寺(そうけんじ)の石垣で遮断されていました。平成6年に解体し、築城時の道を検出、現在では往時のままに復元されています。
徳川家康邸までの180mの間は、常識を覆して直線!
発掘調査の結果、大手道は幅6m〜7mと城内にあるもっとの幅広い道で、両側に幅1mの溝が配され、その横に石塁が築かれていました。
登城口から徳川家康邸までの180mの間は、ほぼ直線で登っています。
中世の城郭では、城の登城道は、敵軍の侵入を食い止めるためにも細く、屈曲するのが常識です。
側溝を含めると幅8mもの道が、直線的に通じている安土城は、大軍の侵入を防ぎづらいという弱点となるはずです。
織田信長が、なぜこのような登城道を築いたかは、意見が別れるところですが、歴史研究家の間では「安土城は戦うためではなく、見せるための城だった」と考える人が多くなっています。
大手道の直線部分の両側には羽柴秀吉、前田利家、徳川家康というなだたる大名の屋敷が並んでいました。
大手道の転用石に注目!
築城の際に不足する石材を補うため、石仏などが使われたものが転用石です。大手道では踏石(ふみいし)や縁石(ふちいし)に数多くの石仏が多く使われています。
安土城の築城に際しては、周囲の山から石材が運ばれていますが、寺の石仏なども転用されています。
信長が神仏を恐れなかったとも解釈できますが、築城にあたっては、姫路城、和歌山城などでも転用石を見ることができ、一般的に行なわれていた築城方法だと推測できます。
現在、安土城跡では転用石として使われた石仏も、往時のままに保存されています。
安土城 大手道 | |
名称 | 安土城 大手道/あづちじょう おおてみち |
所在地 | 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 |
関連HP | 近江八幡観光物産協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR琵琶湖線安土駅から徒歩25分 |
ドライブで | 名神高速道路蒲生スマートICから約11km、竜王IC、八日市ICから約14km |
駐車場 | 特別史跡安土城跡前駐車場(150台/有料) |
問い合わせ | 安土駅前観光案内所 TEL:0748-46-4234/FAX:0748-46-4234 |
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