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常楽寺港舟入跡

常楽寺港舟入跡

近江八幡市安土町にある常楽寺港舟入跡は、信長の居城・安土城の琵琶湖へ出るための重要な外港の跡。永禄13年(1570年)3月3日に織田信長が、近江国内から相撲自慢を集めて相撲大会を開いたのもこの常楽寺港です。この常楽寺港を管理した城が中世の木村氏の居城、木村城(常楽寺城)で、この城は木村さんのルーツにもなっています。

観音寺城、そして信長の安土城の外港として機能

中世、琵琶湖の港は、東海道と結んだ米原の朝妻湊(あさずまみなと=米原市朝妻筑摩)、琵琶湖最北部にあった敦賀と結んだ塩津湊、大浦、海津、やはり北陸道と結び大溝城下にあった勝野津(現・高島市南東部)、さらに大津の坂本城下に坂本湊があり、物資の大量輸送は湖上交通が担っていました。

常楽寺湊(常楽寺港)が使われるようになったのはいつごろかは定かでありません。
天文4年(1535年)の史料に「常楽寺船人」という記述があることから、近江守護・六角氏のもと琵琶湖舟運の湊(港湾)がすでに16世紀半ばにはあったことがわかります。
つまりは観音寺城の湊として利用されていたのです。

さらに、天正3年(1575年)4月27日には、明智光秀が坂本から船で佐和山に移動中、風待ちで、常楽寺港に寄港しています。
安土城築城にあたって物資の運搬、さらには信長の出陣や移動の際にも常楽寺港の存在は大きな役割を果たしています。

西の湖の南にある常楽寺港舟入跡は、行安寺や常楽寺会館を目標にすれば迷うことはありません。
車は少し北側の常浜水辺公園の無料駐車場が利用できます。

中世に常楽寺港を管理したのが木村城(常楽寺城)の城主・木村氏。
常浜水辺公園に隣接する畑地一帯が城跡ですが遺構は残されていません。

ちなみにこの常楽寺港、江戸時代には年貢米の積出港となり、昭和6年頃まで現役の港湾として活躍していました。

常楽寺港舟入跡
名称 常楽寺港舟入跡/じょうらくじこうふねいりあと
所在地 滋賀県近江八幡市安土町常楽寺
関連HP 近江八幡市公式ホームページ
電車・バスで JR琵琶湖線(東海道本線)安土駅から徒歩10分
ドライブで 名神高速道路蒲生スマートICから約10km
駐車場 常浜水辺公園駐車場を利用
問い合わせ 安土駅前観光案内所 TEL:0748-46-4234/FAX:0748-46-4234
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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