木村城跡

木村城跡

六角氏の観音寺城の外港として機能した中世の琵琶湖東岸の港、常楽寺港を守る木村城主の木村氏は、もともと沙沙貴神社をルーツとする佐々木氏の一族で(沙沙貴神社の神職)、常楽寺の在地領主。その居城となったのが現在の近江八幡市安土町にある木村城で、木村城跡一帯は畑となって遺構は水路となった水堀を除いてほとんどありません。

安土城の築城でその役割が終焉した、琵琶湖舟運の要衝を守る城

木村城(常楽寺城)の創建年代は定かでありませんが、16世紀初頭にはすでに琵琶湖の舟運を睨む近江守護・六角氏の支城として機能しています。

『二条宴乗記』によれば永禄13年(1570年)、城主だった木村氏は観音寺城の戦いで大敗を喫して甲賀へと退いた六角義賢(ろっかくよしかた)を見限って織田信長に付いています。
ひょっとすると、六角氏の元家臣が活躍した永禄13年(1570年)3月3日相撲大会で、木村氏の一族も活躍を見せ、取り立てられたのかもしれません(常楽寺港で開かれた相撲大会にはそんな政治的な意図もあったと推測できます)。
元亀元年6月4日(1570年7月6日)、野洲河原の戦い(やすがわらのたたかい)頃に廃城となったとされていますが、定かでありません。

元亀2年(1571年)に、木村次郎左衛門は常楽寺港から一向一揆が立てこもる金ヶ森城を攻め、また元亀3年(1571年)には常楽寺から志賀郡の木戸城,田中城攻めに出陣しています。

天正4年(1576年)の安土城築城では木村次郎左衛門が普請奉行を任じられ、天正10年(1582年)6月の本能寺の変での安土城落城の際には二の丸御番衆も務め、百百橋(どどばし)で討ち死にしています。

木村城跡
名称 木村城跡/きむらじょうせき
所在地 滋賀県近江八幡市安土町常楽寺
関連HP 近江八幡市公式ホームページ
電車・バスで JR琵琶湖線(東海道本線)安土駅から徒歩10分
ドライブで 名神高速道路蒲生スマートICから約10km
駐車場 常浜水辺公園駐車場を利用
問い合わせ 安土駅前観光案内所TEL:0748-46-4234/FAX:0748-46-4234
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
常楽寺港舟入跡

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