滋賀県高島市鵜川、白鬚神社の総本社で、琵琶湖の湖中に立つ大鳥居が人気の白髭神社。その境内にあるのが紫式部歌碑。越前国の国司となった父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同して越前へと下向する際に、この地で詠んだのが、「三尾の海に 網引く民のてまもなく 立居につけて 都恋しも」です。
紫式部が越前国へと下向する際、船上で詠んだ歌
京と越前(現在の福井県)を結ぶルートは、琵琶湖の舟運を利用するのが一般的な移動手段でした。
藤原道長が執政となった長徳2年(996年)正月の除目で、紫式部の父・藤原為時は、従五位下・越前守に叙任されて越前国へ下向します。
もともとの任命は、淡路守でしたが、藤原為時は淡路国は条件が悪いので、一条天皇に申文(「苦学寒夜、紅涙霑襟。除目後朝、蒼天在眼」=苦学をしたのだから、晴れ晴れと天を仰ぎたい)を奏上して越前守に替えてもらっているのです。
平安時代編纂の『延喜式』には、越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡などからの物資は、敦賀で陸揚げされ、山を越えて琵琶湖北岸・塩津まで運ばれ、塩津〜大津は琵琶湖の舟運を利用し、大津・打出浜で再び陸揚げされ、陸路京に運んだことが記されています。
紫式部も、父・藤原為時とともに大津で乗船し、塩津へと向かったと推測でき、高島・三尾崎の浜辺で、漁をする人々の網を引く見なれぬ姿に驚き、遠く離れつつある都が恋しく思ったのです。
長徳4年(998年)、紫式部は父を残して単身、帰京の途につきますが、又従兄妹(またいとこ)である藤原宣孝(ふじわらののぶたか)との結婚を決意したのだと推測できます。
白鬚神社・紫式部歌碑 | |
名称 | 白鬚神社・紫式部歌碑/しらひげじんじゃ・むらさきしきぶかひ |
所在地 | 滋賀県高島市鵜川215 |
関連HP | 白鬚神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR近江高島駅からタクシーで5分 |
ドライブで | 北陸自動車道木之本ICから約45km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 白鬚神社社務所 TEL:0740-36-1555/FAX:0740-36-1560 |
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